第二話 炎を()べる者 (8)


 ようやくミュウ達が山頂にそびえる火竜(ファイアードラゴン)国の国門前に着いた頃には、国を守る聖なる結界は闇の結界と化し、黒く染まってしまっていた。
「遅かったみたいね!」
 天鹿(てんろく)明星(あかぼし)から飛び降りたミュウは無人の国門に駆けより、結界の向こうにある鉄の大扉へと手を伸ばそうとした。だが、黒い半透明の結界に指先が触れたとたん、火花が飛び散った。彼女はぎゃっと一声上げて、慌てて手を引っ込めた。
 全員が駆けより、紅虎(ホンフー)万里(バンリ)の背から降りたアルウィンが急いで怪我の具合を見ると、彼女の指先は火傷をしたように赤くはれ上がっていた。
 万里と明星が息を飲んで瞠目(どうもく)した。
「竜族の皮膚に傷をつけることができるとは、相当な魔力ですね………」
「大丈夫でございますか? チェン殿、すぐにミュウ様の手当てを」
「そんなことはいいから! この結界、何とか解けないの?!」
「無駄ですよ、王女様。結界に近づいただけで、闇の魔力に当てられてしまいます」
 そう答えたのは、その場にいる誰の声でもなかった。全員が凍りつき、さっと後ろを振り向いた。
 ミュウ達から少し離れた城壁の上に立っていたのは、黒ずくめの若い男だった。長い銀髪と左耳にある黒曜石(こくようせき)のピアスを風にゆらし、腕組みをしてこちらを見下ろしている。ターコイズブルーの瞳をゆるりと細め、口のはしをつり上げて薄く笑う様は、まるで悪魔のようだ。
「誰?!」
 ミュウのするどい視線をもろともせず、男は芝居がかった仕草でうやうやしく一礼した。「俺はカートライト。ディアギレフ第五配下プレグの手の者。以後お見知りおきを、エルミューゼ王女」
「貴方も闇竜(ダークドラゴン)の?!」とアルウィンが身がまえ、万里と明星もミュウの両脇を固める。
 カートライトはくつくつと笑いをもらした。「そういきり立つな。俺は戦う気はさらさらない。今はな」
 そう言うと、彼は城壁に腰を下ろし、長い足を組んだ。全員の注目を集めていることを(たの)しむかのように、わざとゆったりと続ける。「元々、この闇の結界作戦は、雷竜(サンダードラゴン)国から竜の息吹(ドラゴン・ブレス)の所有者を逃がさないようにするためのものだった。ミュウ王女、あなたをね。まぁ、それは失敗に終わったわけだが………。こっちに有利に働いてくれたことに変わりない。この結界のおかげで、あなたの仲間は誰も助けにこられなくなった。そして今、火竜族ももうあなたをたすけられなくなった。闇の檻の中でディアギレフ様に飼われるだけの、ペットのトカゲちゃんになったって訳だ」
「高貴な竜族をトカゲ呼ばわりすんな〜!」
 小馬鹿にするような口調でつらつらと並べられ、ミュウは目尻をつり上げてこぶしを振り回した。
 暴れる彼女のこぶしを押さえ、「では、他の竜族の国にも同じように闇の結界を張るおつもりですか?」とアルウィンがさりげなくさぐりを入れる。
 すると、意外にもカートライトはあっさりと首を横に振った。「いずれはな。今すぐの話じゃない」
 アルウィンは用心深く片眉を上げた。「何故です? 全ての竜族の国の結界を闇の魔力で塗り変えれば、貴方がたにとっては更に動きやすくなるのでしょう?」
「竜の息吹をつけた国王が結界内にあっては、そんなことをしても無意味だからだ」男は頭の後ろで両手を組み、くつろいだ様子で質問に答える。「闇の結界を解く方法はただ一つ。結界の術者、つまり、竜族の現国王が“竜の息吹をはめた状態で”結界の源である光珠(オーブ)に魔力を注入することだ。竜の息吹には、王の魔力を最大限にまで引き出す力がある。それをはめていなければ、いくら王といえども塗り替えられたあの結界を破ることはできない」
 ミュウは無言で彼をにらみすえ、そっとアルウィンと顔を見合わせた。カートライトが何をたくらんでいるのか、彼女には全く見当がつかなかった。
(どういうつもりなの? コイツは敵なんでしょ? なのに、こっちから訊いてもいないのに、結界を解く方法をわざわざ教えてくれるなんて)
 四人がますます警戒を深める中、カートライトはおどけた調子でひらひらと片手を振って見せ、のんびりと立ち上がる。「つーことだから、他国の心配なんかしてないで、まずは自分達の心配をすることだ。んじゃ、せいぜい頑張って逃げ切るんだな。二人共」
「待って! 公輝(コウキ)皇子は?! どこへ連れ去ったのよ?!」
 移動魔法を発動しかけた彼にミュウが問い詰めると、彼はちらと彼女を見下ろした。何のことかとけげんそうにゆがんだ表情は、すぐに興味をひかれた悪ガキのような顔つきに変わる。
「ああ、あれね。俺も驚いた。知らないな。ウチの連中のしわざじゃないと思うぜ。竜族ってのは、死んだら身体ごと滅して消えるもんなのか?」
「んなワケないでしょ! とぼけないでよ!」
 ミュウは怒りをぶちまけたが、男はへらへらと笑ってかわすだけだった。「問題はそこじゃないだろう? 死体はなくとも、皇子は死んだ。竜の息吹が転移したのがそれを証明している。何で竜族でもない奴に転移したのかは謎だが」
 皇子は死んだ。薄い笑みと共に吐かれたその言葉が、全員の胸に深く突き刺さった。言い返す言葉に迷い、ミュウは唇を噛んだ。アルウィンは、無意識に己の手にある竜の息吹に目を落とす。
「不運だな」
 自分にかけられた声だとわかり、アルウィンは男を半眼で見上げ返した。カートライトは口元に皮肉な笑みを形作ったまま、彼を見下ろしている。
「それを手にしてしまったばっかりに、滅び行く竜族と命運を共にしなけりゃならないんだから」
 しばしのにらみ合いの後、カートライトは黒服をひるがえして異空間の入口(ゲート)へと飛び込み、その場からかき消えた。突如(とつじょ)、訪れた静寂。誰も何も言わない。どこか遠くの噴火口で、小さな爆発が起きたような音が聞こえる。熱い風が火山灰を運んできた。
 最初に口を開いたのは、明星だった。「敵にしては、有力な情報を話していってくれましたね。こちらとしてはありがたいですが、鵜呑(うの)みにして良いものか………」
 アルウィンと万里は沈黙し続けていた。
 固く目を閉じて眉間に悲痛なしわを刻み、うなだれた万里は、「公輝様………」とほとんど聞き取れない声で言った。
「どうして………」とアルウィンが力なくつぶやいた。「どうして、公輝皇子は僕なんかをかばって………!」
 弟の照夏(ショウカ)皇子をかばうのはわかる。だが、自分をかばう理由などないはずだ。優しく接してくれただけで十分だったのに、何故そこまで。
「アルウィン………」
 頭を両手で押さえつけて崩れるようにうずくまった彼に、ミュウが声をかけようとして何と言っていいのか迷う。さ迷わせた視線が、真っ赤に染まった彼の右肩をとらえた。
「怪我してるわ」
 他にも怪我人は大勢いると言い張り、手当てを拒むアルウィンと精獣達に、「あんた達の手当てが先よ」とミュウが竜の息吹から薬と包帯を出す。自分の手の怪我のことは歯牙にもかけず、不器用なりにも彼らの傷に包帯を巻いた。
 手当ての後、ミュウ達は急いで戦場となった場所まで戻った。そこでは、怪我人の応急処置が始まっていた。
 改めて戦場に広がる血を見るなり、アルウィンは卒倒しかかった。「うわ、血、血がぁ……っ」
「んも〜っ、しっかりしなさいよ」青ざめてふらりとした彼の頭を支えたミュウは、反対側にぐいっと押し戻しながらあきれた声を出す。
 護衛兵の一人がミュウに駆けより、早口で報告を始めた。「ミュウ王女、怪我人が多すぎます。至急、ふもとの村まで運んで治療を受けさせなければ。それと……公輝殿下のお姿がどこにも………」
 唇を噛んで力なく言った彼に、ミュウは言っていいものか迷いながらも残酷な真実を告げる。「国門前に闇竜の手下だっていう男がいたの。そいつがね、竜の息吹が転移した以上、公輝皇子は………」
 その先は言葉にならなかった。
 アルウィンは顔色を悪くしたまま、無言で竜の息吹を見下ろしている。
 そんな彼の様子をじっと見ていた万里が、不意にこんなことを言い出した。「チェン殿。何故、貴方に公輝様の竜の息吹が転移したのかはわかりませんが、これも火神のご意志。どうか、公輝様のためにも、ミュウ王女と共に宙竜(コスモドラゴン)国へ向かって下さいませんか?」
「我らの問題に巻き込んでしまい、申し訳ないが……そうしてもらえないだろうか?」と護衛兵までもが頭を下げる。
 アルウィンは目を丸くし、「頭を上げて下さい」と懇願(こんがん)した。「巻き込まれたとは思っていません。ただ、僕には竜の息吹を扱う資格なんて、みじんも………」
 万里が首を横に振る。「竜神様がお認めになられたのは貴方です。貴方の腕にある限り、竜の息吹は貴方の物です」
 竜神が認めたのは貴方だ。その言葉にアルウィンはっとし、竜の息吹が転移する直前に起きたことを思い出した。
(頭の中で声がした。公輝皇子の声ではなかった。もしかすると、あれは竜神の声だったのか………?)
 護衛兵が彼にうなずき、ミュウをも見て言った。「お二人は一刻も早く先へ進むべきです」
「そうね。お願い、アルウィン」
 一緒にきて、とミュウはいつになく真剣に言った。
 彼はもう一度、己の竜の息吹に目を落とし、腹をくくった。こうなった以上、断る理由はない。
「わかりました」
 ミュウ達は怪我人を搬送する準備を始めた。軽傷の兵が竜の姿に戻り、その背に重傷者を乗せる。他の者は竜がカルラに襲われぬよう周囲を警戒する。数人の兵だけは公輝捜索のために残ることになった。火竜国からアルウィンを乗せてきた雄の紅虎も出立を拒み、照夏を守って倒れた雌の紅虎の亡骸に寄りそっている。
「最期まで主を守り抜くとは、勇敢な行いでした。残念です」と明星が隣にやってきて、別れの挨拶がわりに声をかけた。
「ああ………」紅虎は肩を落とした。
 ミュウとアルウィンは重傷者を連れて出発した。公輝を失った実感もわかず、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしたのであった。


 邪眼島(アイアゲート)の薄暗く冷たい大広間では、ポワとメビウスがディアギレフに事の次第を報告中だった。火竜国を覆う闇の結界を永煕(エイキ)帝に魔力を注ぎ込ませて維持していること、照夏皇子を塔の上に幽閉して魔獣に見張らせていること、そのために火竜族は誰も抵抗できずにいることを、ポワが小さな身体で大げさな身ぶり手ぶりを交えて説明した。
「それで?」配下達に背を向けたまま静かに耳を傾けていた彼の口から、低い声がもれた。「雷竜族と火竜族の竜の息吹は?」
 訊かれたとたん、二人はうっと口ごもる。
「そっ、それは………」
 ポワがごくりとつばを飲み込み、意を決して口を開こうとしたその時だった。背後で空気が渦を巻き、人が現れる気配がした。カツン、とブーツが着地する音に、彼女ははっと目を見開いた。彼女が振り返るより早く、彼の方が言葉を発していた。その声には底意地の悪い笑みが含まれていた。
「ミュウ王女なら、竜の息吹と共にお元気で旅を続けておられますよ。せっかく一度捕らえたというのに、ポワが逃がしたせいで」
 彼女はさーっと青ざめた。「カートライト!」
「それだけではありません。彼女はディアギレフ様の言いつけにそむき、公輝皇子を(ほうむ)ったのです。当然、火竜族の竜の息吹は別の者に転移しました」
「カートライト! だまんなさいっ!」
 おせっかいにもこと細やかに報告する彼に、ポワは声を裏返してしかりつけたが、もう遅かった。主たる破壊神の憤激(ふんげき)は、誰の目から見ても明らかだった。大広間中に並んだろうそくの火が一斉に激しく燃え上がり、ゆれ出した。
「言ったはずだ。生きたまま捕らえろ、と。竜の息吹が別の者に転移したら面倒だ、と」ディアギレフの声音は恐ろしいほど静かなものだった。
「でっ、でででですが、あたらしいもちぬしはわかってます。ミュウひめといっしょにいる、ほのおのまどうしで………!」
「次はない、と言ったであろう」
 死刑宣告だった。
 ポワは慌てふためき、部下の背中を彼の方へ押しやって言った。「それに、公輝おうじをころしたのはメビウスであって、あたしじゃありません!」
「そんな!」メビウスは悲鳴を上げた。
 助けを求めてすがりよる彼女の手を払いのけ、ポワは「火竜こくの竜の息吹をもつものとミュウひめは、このあたしがせきにんをもってつかまえてきますっ!」と宣言し、さっさとその場から逃げ出した。
「ああっ! お待ち下さい! ポワ様! ポワ様ぁあああっ!!」
 ポワは一度も振り返ることなく異空間の向こうに消え、メビウスが伸ばした手は虚空をつかむばかりだった。大きな影が動いたのを目のはしでとらえ、がくぜんとしていた彼女はかたかたと震えながら頭だけでそちらを見た。やけにゆっくりと一歩ずつ近づいてくるディアギレフの顔には怒りを通りこして何の感情のかけらもなく、無慈悲な死神さながらだった。
 彼女の頬がひくっと引きつる。全身の力が抜け、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「ディッ、ディアギレフ様……決して、わたし、のしたことでは……! どうか、お許しを………」
 死が近づいてくる。振り上げられた手の平に闇の魔法が集約されたのを見て、メビウスはギュッと目をつぶった。
「本当によろしいので?」
 ディアギレフは腕を上げたままの姿勢で動きを止め、声をかけてきたカートライトをうざったそうに見やった。「何がだ?」
「罰は失態の程度に値するものが相当かと」と彼は丁寧におじぎをして続けた。「連珠(れんじゅ)がダート様に同行して次の計画を実行するので、丁度、牢獄の看守が欠けております。彼女を代わりに取り立てては?」お前がやれと言いたげな目に、「ああ、俺もプレグ様の計画準備に同行しますので」とすぐにつけ加える。
 ディアギレフはじっと彼をにらんだ。やがて、振り上げた腕を下ろし、二人に背を向ける。「よかろう。さっさとこの女を連れて行け。さもなければ、この手でめちゃくちゃに壊してしまいそうだ」
 カートライトはその背中に一礼し、すっかり縮み上がったメビウスの腕を引っ張り上げて強引に立たせた。足早に広間を後にした二人は、地下牢へ続く廊下を進んだ。
 腕を引かれながら、メビウスは激しく脈打つ胸を押さえて、彼をにらみ見た。「何故、わたしを助けたんですの?」
「さっき言った通りさ。人手が足りなくて困ってんだよ」と彼は振り返りもせずに、何でもない風に言う。
 暗い階段を下りていくと、反響する二つの靴音に気づいたミュリが鉄格子の向こう側で身を固くした。警戒心を映した赤紫(ピアニー)の瞳に、カートライトが「おや。お目覚めでしたか、ミュリエル王女」と皮肉な声をかけた。
「…………」彼女は目線をそらさず、両手をきつく握りしめた。
 ミュリの檻が見える位置にあるイスにメビウスが座ると、彼は分厚い毛皮のコートを放ってよこした。
「代わりが入って助かったぜ。人間にはキツい仕事だからな」
「私も人間なんですけど」
 メビウスがふくれっ面をして見せたが、彼は片手を振って階段を上り始めてしまった。吐き出した溜め息が白く染まる。身も凍るような寒さが襲ってきたのは、突然だった。彼女は急いでコートを着込む。今さらながら、これが罰であるということを思い知った。
「さ〜む〜いぃぃぃっ!」メビウスはガタガタ震えながら叫んだ。「こんな寒い所にずっといるなんて、竜族か氷華(ひょうか)族でなきゃ死んでしまいますわ〜! 連珠ぅううう! どこに行ったんですのぉ?!」
 毛布一枚にくるまっているだけなのに平気そうな顔をしているミュリが、「大丈夫?」と彼女に向かって小首をかしげた。


   

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