第一話 竜族の姫君 (4)


「じょおうはっけ〜ん!」
 女王の間の扉が打ち破られたかと思うと、元気のよい少女の声が飛び込んできた。エウフェーミア女王と既望(きぼう)が身構えて部屋の外を見据えると、黒とピンクのワンピースにふわふわのツインテールの少女が人差し指をこちらに突きつけて立っていた。隣では、蛇の胴体を持つ女が腕を組み、妖艶に微笑んでいる。二人が女王の間に踏み入ると、その後ろから何かが投げ込まれた。ドサッ、と床に叩きつけられたのは、ぐったりしたトール神官とスパークレオのダーナだった。
「トール神官!ダーナ!」女王は上ずった声を上げた。
 ダーナはかすかなうめき声を洩らして薄目を開けたが、トール神官は呼びかけにも反応がない。
 続いて入ってきたのは、三人の男。プラチナブロンドの髪にダークグリーンのコートに身を包んだ男と、目と口の部分が三日月形に空いた面をつけた道化師風の男、そしてボサボサの白い髪に研究者のような白衣姿の男だった。トール神官とダーナを傷付け、この部屋に投げ込んだのは彼らに違いなかった。
 女王は堂々として真っ直ぐに五人を見つめ、「あなた方は何者です?」と落ち着いた口調で訊いた。
 高襟のコートの男、ダートが一歩前に進み出た。「我らは、闇竜(ダークドラゴン)、ディアギレフ様の配下」
 “闇竜”という単語に、女王と既望の眉がひそめられる。
「女王陛下、ご同行願いますわ」
 蛇女のエヴァが妖しい微笑を含んだ声でそう言うと、彼らは手の平を上向けてくぼませ、そこに闇の魔力を集中させた。増幅させた力を、一斉に女王へと叩きつける。
 しかし、先手を打って魔法を放っていた者がいた。五人は足を踏み出すや否や、その魔法に身体を取られ、べたんと床にへばりついてしまった。
「何…………っ?」
「身体ガ………重イ………」
 女王をかばうように前へ出た既望が、優しげなルビーの瞳を細めた。「雷竜(サンダードラゴン)国女王に対して頭が高いぞ、お前達」
 五人は強制的に女王にひれ伏し、というよりは頭からつま先まで地面に吸いつけられていた。身体が鉄の塊になってしまったように重く、立ち上がるどころか腕を動かすのもやっとだ。
 エヴァが頬を赤いじゅうたんに押しつけたまま、「貴方の属性は雷ではないようね、王配殿下………」と目だけ動かして既望を睨みつける。
「だが……我らの動きを封じることはできても………」とダートがこぶしで床を押し、腕を震わせながら途切れ途切れに言った。
「かげには……つうようしないわよ………!」
 ツインテールの少女、ポワがそう言ったのを合図に、既望の影が宙に伸び上がった。はっとして振り返ったが間に合わず、彼は自身の影に横腹を貫かれ、吹き飛ばされて壁に激突した。
「あなた!」
「既望殿下!」
 女王とダーナが叫ぶ。
 既望は傷を負った脇腹を押さえて片目をつぶり、「うっ…………」と苦しそうに壁にもたれかかる。押さえた手の間から血が噴き出し、シルバーグレーのローブをじんわりと染め始めた。全身を打ちつけた壁を真っ赤な雫がいくつも伝い、ポタッポタッと彼の肩を濡らす。
 すると、彼の魔法の効果が消えた。五人はさっと起き上がって体勢を整え直し、女王に向かって一気に闇の魔法を放つ。女王は片手をかざし、雷の魔法で迎え撃つ。黒い雷光と白い雷光が部屋の中央で激突し、雷鳴がとどろく。家具は壊れ、倒れ、窓ガラスが砕け散る。雷竜族女王の魔力は強大で、闇の魔法を操る侵入者達でさえ五人でやっと互角であった。
 しかし、女王の両手首で光る腕輪は、凄まじい戦闘に耐えきれなかった。衝撃を受ける度にパキッ、パキッとひびが入り、ついにはパキンと真っ二つに割れて転がり落ちてしまった。
 それを見た五人は驚きに目を見開き、攻撃を中断した。
竜の息吹(ドラゴン・ブレス)が、外れた………?」エヴァが呟くように言う。
「バカな!あれは竜神が創った物。破壊するなど不可能だぞ?!」と白衣の男、プレグもタカのような黄色い目をむき出す。
「それに、一度はめれば人の手では外すことができない物。外れるのは持ち主が死んだときだけ。その時は、瞬時に新たな持ち主の腕に転移するという……あれは、偽物か」とダートが女王をちろりと睨み据えた。
 女王はふっと口元に上品な、しかしどこかいたずらっぽい笑みを浮かべる。「本物の竜の息吹は、ここにはありません」
「本物はここだぜ」
 突然、別の声がした。女王は驚いて声がした方を見ると、扉の前にトカゲの頭をした大男が立っていた。鋭い爪のある太い指は、ミュリをしっかりと捕まえている。ミュリは赤紫(ピアニー)の髪を振り乱してもがき、「放して!放してってば!」と男の手を振りほどこうとしている。
「ミュリ?!」
「ミュリ………!」
 女王は我を忘れて叫び、既望は壁に手をついて立ち上がりながら小さくうめいた。
 ダーナは扉の近くで肩で大きく息をしつつ、ミュリを一目見るなり護衛役が主を守りきれなかったことを悟り、「ヘ〜ル〜メ〜スゥ〜……!」と地をはうような呪いの呟きを洩らした。
 トカゲ男、レージィはミュリの手首にある腕輪が全員に見えるように彼女の腕を持ち上げた。「見ろよ、このガキのブレス。本物の竜の息吹じゃねぇかぁ?」
「え〜?そんなこどもにもたせてるっていうの?おうさまのあかしを?」ポワが顔をしかめ、濃いピンクの瞳に疑いの色を宿してレージィを見た。
「だってよぉ、外せねーんだぜ、これ。ちょっと触っただけで、電気みてぇのが流れるんだ。竜の息吹ってのは、持ち主以外には触れねぇようにできてんだろ?」レージィはどうだ、と言わんばかりに得意気に胸を張った。
 派手な衣装のピエロ男、イリーが「デハ、ソノ娘ヲ連レテ行キマショウ」とニタニタ笑いを含んだ甲高い声で言った。
 女王は赤紫の瞳を震わせて叫んだ。「待ちなさい!それは、偽物です。その子を放しなさい!あなた方の要求には、私が応じます」
 見るからに余裕を失った彼女に、エヴァがふふっと冷たく笑う。「本物かどうかは、こちらで判断するわ。それに、もう貴女に用はないのよ。私達の目的は、竜の息吹を持つ者を生け捕りにすることですもの」
「まぁ、この嬢ちゃんのブレスも偽物だったら、命の保証はねぇがな」
 プレグが言うと、他の五人はせせら笑った。
 女王の顔から血の気が引いた。ミュリの腕輪がレプリカであることは、彼女が一番よく知っている。あれは、彼女が娘に常時つけているようにと与えた物なのだ。
「娘の命が惜しければ、ここで大人しくしているんだな」とダートが冷たく言い放ち、異空間のゲートを開いた。
「待ちなさい!」
 女王は叫び駆け寄ろうとしたが、六人は逃れようともがくミュリを連れて異空間に飛び込んだ。ポワが「ばいば〜い」と手を振ったのを最後に、ゲートは閉じて彼らは消え去った。女王の間は、しんと静まり返った。
 女王は身体から力が抜け、かくんと崩れ落ちた。既望が赤く染まった脇腹を押さえ、足を引きずって歩み寄り、「ミア………」と彼女を支えるように肩を抱いた。
「あなた……ミュリが………私……私のせいで………」女王は呆然と呟いた。
「大丈夫。あの子は、あの子は大丈夫だ………」
 震える手を握り合わせ、娘が連れ去られた辺りを見つめる二人の周りには、いつの間にか大トカゲの魔獣が溢れ返っていた。舌をちろちろさせ、目をギラギラさせながら女王と既望、倒れたままのトール神官とダーナをまるで見張るように囲んでいるのだった。


 ディアギレフは冷たい石でできた広間に立ち、光の灯らぬ琥珀色の瞳でじっと床の一点を見下ろしていた。そこには、彼を長年この場所に閉じ込めた魔法陣が、見るも無惨な姿に変わり果てていた。紋章が読み取れぬほどあちこちが大きく欠け、亀裂が入り、憎しみをこめてありとあらゆる方法で破壊を試みた跡が生々しく残っている。
 雪と氷の世界に閉ざされた洞窟は、薄暗さは変わらぬものの、今や彼の魔法により城と呼んでも過言ではないほどの高くそびえる塔に生まれ変わっていた。暗い色の石造りの広間に窓はなく、部屋の一周をぐるりと火を灯した燭台が並ぶ。これから生けにえの儀式でも始まりそうな、不気味な雰囲気が漂う。
 広間の中央で魔法陣を静かに見下ろしていた彼は、背後で空気が渦を巻いてねじ曲がる気配を感じ、ゆっくりと振り返った。
 虚空に異空間へのゲートが六つ口を開け、ポワ、ダート、エヴァ、イリー、プレグ、そしてレージィが現れた。レージィは肩に担いだ少女に、「痛いってば!放して!」と両のこぶしでポカポカと背中を殴られ、うんざり顔をしている。六人は石の床にひざまずき、うやうやしく頭を垂れた。
「ディアギレフさま。雷竜のブレスをもつものをとらえました」ポワが褒めてもらえるに違いないと期待してか、目をキラキラさせて報告する。
 レージィはミュリを下ろすと首根っこをつかみ、乱暴に押し出して主の方へ歩かせようとした。ミュリは抵抗したが、無理矢理二歩、三歩と歩かされる。彼女はうつむき、ぼそぼそと何か呟いた。
「あーん?何か言ったか、ガキ」レージィがうろこだらけの手を耳の穴がある辺りに添え、彼女の背丈に合わせて軽く身を屈める。
 その時、ミュリは呪文(スペル)の最後の部分を唱え終えた。「――我を真の姿に……!」
 ミュリの身体がまばゆい光を放ったかと思うと、小さな竜の姿へと変わった。レージィの手を振りほどくと、長い尾を振り回し、牙をむき、全身からバリバリッと電気を発生させる。不意をつかれ、六人は代わる代わる悲鳴を上げた。
「きゃっ、レージィ!何とかしなさいよ!」とエヴァが静電気で逆立つ長い髪を押さえ、雷の一撃を避けて叫ぶ。
 レージィは、黄金の翼を羽ばたかせて上昇しようとする竜の尻尾をつかんで引き寄せ、両翼を雑巾でも絞るようにやすやすとねじった。
「キュアァァァァッ!」
 竜は苦痛の叫びを上げると少女の姿に戻り、ぐったりとくずおれた。
「ちっ、手こずらせやがって」レージィが舌打ちしてミュリの腕をつかみ、ディアギレフの所へ引きずっていく。
 ディアギレフは屈んで床に片膝をつき、ミュリの手首へと手を伸ばした。彼が腕輪に触れようとした瞬間、虚ろだったミュリの瞳に力が戻り、キッと目を怒らせた。

 バチバチバチバチッ!!

 彼が腕輪ごと彼女の手首をつかんだ途端、大量の電気が発生した。広間中が真っ白な光で満たされる。
 しかし、ディアギレフは痺れと痛みに顔を歪めるどころか、「………ふん」と鼻に抜ける笑いを洩らし、手を離さない。握る手にますます力を込め、闇の魔力を流し込む。白い放電はみるみる黒く染まっていき、パァンと弾けた。
「ああっ!」悲鳴を上げたミュリは手首をつかまれたまま、ぐにゃりと身を折り動かなくなった。
 同時に、腕輪は粉々に砕け散った。
「?!」配下の六人は息を呑み、目を見張る。
 ディアギレフは腕輪の残骸を手の中でジャリジャリとこすり合わせ、「……偽物だ」と低く呟くように言う。
 レージィがどもりながら弁解するように言った。「で、でも、持ち主以外には触れねぇようになってるし――?」
「この娘が、ブレスに触られる度に雷の魔法を放っていただけだ。本物なら、持ち主以外には触れないようになっているのではなく、“盗もうとする意思のある者”には触れないようになっている」
 エヴァがふう、とため息をつき、ガーネットの髪をかき上げた。「まぁた、偽物。本物はどこへ消えたのかしら?」
「タシカ、雷竜国ニハモウ一人王女ガイタノデハ?」
「そうだ。そいつが真の持ち主にちげぇねぇ」イリーの言葉に、プレグはぽんと手を打った。
 が、ディアギレフの声はますます低くなり、氷の刃の如き鋭さを含んだ。「その姫は?取り逃がしたのか……?」
 顔はミュリの方へと下げたまま六人に見向きもしないが、彼の全身から禍々しい気が立ち昇り始めていた。異様なまでの殺気。空気が震え、波打つ。ろうそくの火が一斉にボボッと激しく燃え、揺れ動いた。その光景は、火でさえも恐怖に震え上がっているようにも見えた。彼は人ではなく、神なのだ。破壊神、闇の王………。逆鱗に触れるべからず。さすれば、命あるものは死に、命なきものは無と化すであろう。
 六人は、肌に粟が立つのを感じた。
「通国ゲートは全て封鎖しておりますから、まだ国内にいるかと……」
「て、手分けして探し出します!」
 ダートとプレグが慌ててそう言うと、エヴァとイリーも口々に提案した。
「神殿の光珠(オーブ)に闇の力を注いで、雷竜国だけでなくロードン大陸全体に結界を張りますわ!そうすれば万が一、国外へ出ていたとしても大陸からは出られません。姫は袋のネズミですわ」
「スデニ出港シタ船ノ中モ探シマショウ。停泊中ノ船モ沈メテオケバ、逃ゲ道ハ完全ニ失ワレマス」
 ディアギレフからメラメラと放たれる殺気が少しずつ弱まり、やがて収まった。
「………よかろう」と彼は顔を上げて六人に言った。「必ず生きたまま捕らえろ。殺すとブレスが移動する。新たな持ち主を探し直すなど、時間の無駄だ」
「仰せのままに」六人はほっとし、崩れるようにその場にひざまずいた。
「あの……ディアギレフさま?」とポワが主の顔色をうかがいつつ、おずおずと訊いた。「そのひめはどうしますか?」
 全員の視線が、蒼白な顔で固く目を閉じて気絶しているミュリに集まる。
「用済ミデスシ、始末シテモヨロシイノデハ?」命令さえ下れば自分がやると言わんばかりに、イリーがさっとナイフを抜く。
 ディアギレフが口を開こうとした時、「生かしておいてはいかがです?」と別の声が割り込んだ。
 広間の隅から突如現れたのは、銀髪の男だった。長い影が床に伸び、靴音をコツコツと響かせて彼の前へ進み出て、続ける。「姫を人質に取られれば、女王も国民も抵抗できないはず。姫の命をちらつかせて脅せば、無駄に力を使わずに征服できますよ」
 レージィが腰に手を当て、鼻を鳴らした。「おい、人間ごときのお前がディアギレフ様に意見するなど――」
「これはこれは。まるで、あんたらの方が優っているような言い方を」男は人を食ったような笑みを広げ、横目でレージィを見た。「“人間ごときの俺ら”に光珠を破壊させなければ、竜族の結界に近づくことすらできないくせに。所詮は、ディアギレフ様に創られたまがい物。完全な肉体も魂もない“創り物ごとき”が。笑わせる」
「なっ………!」ポワとエヴァが、怒りと羞恥に顔を赤らめた。
 六人の形相が凄まじいものへと変わり、レージィは「きさま……!」と大股で男に詰め寄った。
「おやめなさいな、カートライト」広間の隅で、メビウスがクスクス笑う。「この方々は、わたし達の上司(ボス)なのよ。身の程をわきまえなさい。ねぇ、連珠(れんじゅ)?」
「……………」すぐ横にいる白い着物の女は、話を振られても無表情で無言を貫いた。
 男の胸倉につかみかかろうとするレージィの肩を、プレグが押さえた。「よさんか、レージィ。挑発に乗るな」そして、今度は銀髪の男をタカのような目で射抜くように厳しく見据えた。「カートライト、そのよく回る口を閉じねぇと、顔ごと切り刻むぞ……!」
 カートライトは軽く笑い、「失礼。言葉が過ぎました」と怯む様子もなく一礼して下がった。
 その一連を黙って眺めていたディアギレフは、愉悦の笑い声を上げた。「さすが、人間というのはお前達よりも知恵が回る。より卑怯で、より残虐で、より狡猾だ」
 六人は不服そうに彼を見たが、それを口に出す勇気のある者はいなかった。
「そうだな。この姫にはまだ使い道がある」
 ディアギレフは再びミュリの手首の内側に視線を落とした。それに気づいた時、彼はこの姫がブレスをつけていた理由を知ったのである。人目に付かぬよう隠されていたそれは、ブレスがなくなったことでくっきりと彼の目に映し出されていた。彼はミュリの手首に刻まれたそれを指でなぞりながら妙案を思いつき、ニヤリと怪しげな笑みを作った。


   

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