第一話 竜族の姫君 (5)


 竜に変身したミュウは、地下水路を飛び続けていた。長い身体は頭から尻尾まで淡く発光し、真下の水面を、両側の壁を、天井を照らす。金のたてがみが後ろになびく。時折、バサリと両翼で風を切り、出口を目指して休むことなくひたすら翔け抜ける。
 鼻先に当たる冷たい風に、潮の匂いが混じった。ミュウは赤紫(ピアニー)の瞳を細めた。暗い水路の奥、遠くに一点の光が見える。豆粒程の大きさだった光は、彼女が飛ぶ速度に合わせて徐々に大きくなり、波音も聞こえ始めた。
「着いた!海だわ」
 わずかに差し込む日の光と波の音に勇気づけられ、ミュウはスピードを上げた。
 水路の出口は黒い鉄格子で塞がれていた。格子の間からさんさんと降り注ぐ明るい日差しが水面で反射し、水の動きを真似たきらめきを壁に映す。暗闇に慣れてしまった目には眩しすぎて、彼女は何度もまばたきしながら空中で止まる。パァッ、と全身が輝いたかと思うと、竜から人の姿に戻り、通路にスタッと着地した。腕で目をかばい、鉄格子を見上げる。ザザーン、ザザーン、と鉄格子に波が打ちつけられる度に、細かい水しぶきが顔にかかる。
 鉄格子を探ると、隅の方に扉があった。しかし、頑丈な錠前が取り付けられている。ミュウは錠前を引っ張ったり、ガチャガチャと乱暴に叩きつけたり、扉に体当たりしてみたが、鉄格子はちっぽけな彼女を嘲笑うかのようにびくともしない。
「よ〜し、それなら………」ミュウは二メートルほど距離を取り、両手を扉に向ける。「ミュウちゃんの……お通りだ〜!!」
 叫ぶと同時に、手の平から雷光が飛び出した。雷鳴がとどろき、水路中に反響する。鉄格子はバラバラに砕け、沖目がけて吹き飛んだ。景色をさえぎる黒い格子模様は消え、青い空と海原が目の前に広がる。
 ミュウは両手を前にかざした姿勢のまま、目をぱちくりさせた。
(………あれ?鍵だけぶっ壊そうと思ったのに)
 錠前を壊す程度の力加減で放った魔法が、鉄格子一面を打ち砕いてしまったなんて。自分のどこにそんな力があったのだろうといぶかって首を傾げた彼女は、はっとして両手首の黄金の腕輪を見下ろした。
(そっか!竜の息吹(ドラゴン・ブレス)のせいだわ。確か、これをつけると魔力が高まるって、前にお母様が言ってたっけ)
 ぼうっと竜の息吹を見つめる。そして、目を興奮に輝かせ、握りこぶしを作って勝ち誇ったように笑んだ。
「あたしって無敵!これさえあれば、闇竜(ダークドラゴン)だか何だか知らないけど、そんな奴なんか目じゃないわ。どっからでもかかってきなさい!オーホホホホ!」
 ミュウはすっかり調子に乗り、高笑いを上げた。
 と、その時。水路の外を巨大な影が通過した。
「オーホホホホ………って、今のは?!」彼女は高笑いを止め、急いで外を覗いた。
 影の正体は、一隻の船だった。舳先に人魚のレリーフがついた木造の帆船で、水平線に向かって滑るようになめらかに進んでいく。
「もしかして、乗り遅れた?!」
 ミュウは水路から岩場に飛び移った。ゴツゴツした岩肌をつかみ、ぬめり気のある藻に足を滑らせないよう気をつけて、できるだけ早く岩の群れを越えようとする。
 しかし、船足の方が速く、港にたどり着いた時には帆船はだいぶ遠くまで行ってしまっていた。
 先を急ぐ彼女は、悔しそうにイライラと唇を噛んだ。一刻も早く火竜(ファイヤードラゴン)国へ行き、国を救う手立てを教えてもらわなければならないのだ。ぐずぐずしていると、折角引き離した大トカゲの魔獣も追ってくるかもしれない。
 どうしたらよいものかと辺りを見回すと、石の桟橋の上で漁師が仕かけ網を繕っているのが目に留まった。その下の海面には、手こぎボートがゆらゆら浮いている。
「おじさん!これ貸して!」
 ボートを指差して叫ぶように頼むと、漁師は「うん?」と日に焼けた顔をのんびり上げた。「構わないが。どうするんだい?」
「ユーディア大陸行きの船に乗り遅れちゃったの!すぐ追いかければ間に合うかも!」
 ミュウはすでにボートの上で、桟橋にくくりつけたロープをほどいている。
 漁師は、「ユーディア大陸行きの船?」と港の向こう側へ目を凝らした。「それなら、まだあそこに――」
 彼があごをしゃくった先には、別の帆船が停泊していた。
 だが、彼女は話を聞いておらず、オールをつかんで勢いよくこぎ始めていた。
 バシャバシャバシャ!と水をかき散らす音に、漁師は振り向いた。彼女が遥か遠くの帆船へと向かおうとしているのを見ると、慌てて叫ぶ。「お嬢ちゃん!あれは旅客船じゃないよ!あっち!あっちにまだいるって!」
 彼の声は、必死にボートをこぐミュウの耳には届かない。あの船が目的地へ運んでくれるものと勝手に思い込み、少女とは思えぬ力で凄まじい速さでオールを動かす。桟橋でわめく漁師の声も姿も、ぐんぐん小さくなっていった。
「その船待って〜!待ちなさいよぉ!!」

 帆船の甲板では、乗組員が忙しく駆け回っていた。長い(かい)が船べりに引っ込められる。真っ白な四角い帆が張られ、頭上ではためいた。
 船長の指示が飛び、誰もがきびきびと慌ただしく船を操る中、一人だけぼんやりと海を眺めている者があった。旅の身なりをした少年である。中華風の緑の上着は膝下までの長い丈で、両側にスリットが入っている。足首にかけて膨らんだゆったりしたパンツに、革の帯と靴。明るい茶色の短い髪が、サラサラと風になびく。遠のいていくロードン大陸へと向けられる焦げ茶の瞳は、名残惜しむような憂いが滲んでいる。どんどん離れて行く土地での思い出を懐かしむにしては、その表情はどこか悲しげで、暗い影が差していた。
(ロードン大陸は、大体見て回った。これからどこに行こう。故郷には………)
 故郷にだけは帰りたくない。
 少年はギュッと船べりをつかむ。故郷に戻った所で、居場所はない。新たな土地を求めて旅に出たはいいが、ロードン大陸にも腰を落ちつけられる場所は見つからなかった。気に入った村や町がなかった訳ではないし、親切にしてくれた人もいた。しかし、どうも自分がいるべき場所ではない気がしてならなかった。心の奥で、もう一人の自分が首を横に振るのだ。
 これからどうしよう。いつまで旅をすれば、気が済むのだろう。僕は何がしたいんだろう。
 先への不安が彼に重くのしかかり、希望を覆い隠す。ため息が潮風に凍りつく。彼は視線を足元に落とした。
 突然、どこからか「うおぉおおおおお!」という獣のような叫びが聞こえた。
(何か聞こえたような………?)
 少年はおや、と顔を上げ、船べりから身を乗り出した。
 ところが、彼の目が声の主に向けられる寸前、とんでもないことが起こった。
 天地を引き裂くような爆音。港で次々と船が()ぜ、炎上した。
「え……………?!」彼の唇から乾いた声がもれる。
「何なの?!凄い音がしたけど?!」驚いて船室から出てきた女船長が、甲板に上がってきた。
 乗組員も集まり、ガヤガヤ騒ぎ立てたり、炎が踊り狂い黒い煙がもくもく立ち昇る港を指差す。少年も呆然と港を見つめる。誰一人、すぐ下の海面をめちゃくちゃにこぎ進んで追いついてきたミュウのボートに気がつかない。
 一方、ミュウも爆音に驚き、こぐ手を休めて港を振り返っていた。焦燥とかすかな恐怖が、大きく見開いた目に宿る。
(まさか………まさか、あれも侵入者(あいつら)のしわざ?!)
 追いつかれたら何もかも終わりだ。奴らの狙いはこの竜の息吹であろう、とお母様が言っていた。何としてでもこれを守り抜かなければ、逃がしてくれたお母様を、お父様を、セロン隊長を、ナターシャを、ヘルメスを、そしてミュリを助けられない………!
 ミュウは再び、「うりゃうりゃうりゃうりゃ〜!」とオールで力いっぱいこぎ、帆船に向かって大声を出して呼び止めようとする。
 丁度、反対側を向いて乗組員と話をしていた少年の耳に、その叫びは届いた。
(また………何だろう?)
 彼は耳を澄まし、下を覗こうとした。
 すると、今度は船長が怒鳴った。「デカイのが来るよ!しっかりつかまりな!」
 思わず顔を上げると、爆発の衝撃で高波が生まれ、港からこちらに向かってくるのであった。
 高く突き上がった白波は巨大なクジラの如く、ミュウをボートごと飲み込まんと大口を開ける。
「どわぁああああああああ!!」ミュウは悲鳴を上げた。
 それを耳にした少年が見た時には、彼女は大波に呑まれて見えなくなっていた。直後、帆船も大きく揺れ、少年や乗組員は船べりにしがみついた。
 ボートが逆さまに浮かび、オールがぷかぷかと流されていく。ミュウは水面に顔を突き出し、ボートにしがみついた。
「かはっ、うぇっぷ!しょっぱ〜い!」
 海水を吐き出し、ゲホゲホむせて大騒ぎしていると、やっと少年の目がこちらに向いた。
 目が合うなり、彼は仰天して眉を跳ね上げた。全身ずぶ濡れの少女が、反転した手こぎボートの船底にはい上がっている。頭と肩からは、どす黒い海藻がベロンと垂れ下がっている。赤紫の髪の毛がベットリと顔に張りつき、隙間から覗く目玉は不気味にぎょろついていて、唇は紫。顔は蒼白。まるで幽霊のようだ。
「ぎゃあっ!!」
 引きつった表情で叫んだ少年に、ミュウはプルプル震える手を伸ばし、「た……助けて………の、のせっ……乗せて………!」と呪いのような低い声を出して訴えた。
 彼はやや青ざめて、船長を振り返った。「せ、船長さん!海にゾンビ………じゃなくて人が!変な人がいます!」
「変な人?」
 船長は不思議そうに繰り返し、彼に言われるまま船の下を覗き込んだ。そして、哀れな姿のミュウを発見して、あんぐりと口を開けた。
「ちょっと君!大丈夫?!あんた達、ボサッとしてないで上げてやって!」
「は、はい船長!」
 少年と同じように呆気に取られていた乗組員は、慌てて縄ばしごをボートに投げ入れた。ミュウは寒さに震えながらそれによじ登り、たくましい男達の腕に支えられて船に引っ張り上げられた。

「はぁ〜。生き返る〜ぅ」
 船室で赤々と石炭が燃えるストーブに当たり、熱い湯に足を沈めたミュウは、生気を取り戻した。貸してもらった服を着て毛布にくるまり、マシュマロ入りのホットココアまでもらってほくほくである。
「それにしても、そんな格好でボート遊びなんて」と船長が火の前で乾かしているぐしょ濡れのマントといかにも重そうな防具をちらっと見て言う。「私らが通りかからなかったら、今頃溺れていたよ」
 彼女はやれやれと片眉を上げて呆れた口調で言ったが、表情はニコニコしている。ミュウよりだいぶ年上であるがまだ若い女船長で、白いシャツに紺碧のジャケットとパンツが爽やかだ。肩に触れるか触れないか位の短い髪はつややかな黒、愛想よく細められた瞳はオリーブグリーンだ。
 ミュウは彼女にたしなめられて、むっとした。「遊んでたんじゃないわよ。この船追っかけようと必死だったんだから!」
「この船を?それはまた、何故です?」ミュウの側のイスに腰を下ろした少年が、きょとんとした。
「だ〜か〜らっ、先を急いでいるからよ!一秒でも早く火竜国に行きたいの。次の出航時間まで待ってらんないわ。あ〜、乗れてよかったぁ………」そう言うと、彼女は安心してへにゃりと背もたれに寄りかかった。
 船長と少年は戸惑って、顔を見合わせた。
「あのさ、何か勘違いしてないかな?」
「へ?」
「これは貨物船ですが………」
 言いにくそうに少年から真実を告げられ、ミュウは間の抜けた声で「か、貨物、船?」と訊き返す。
「そう。乗せてるのは商人とうちの乗組員だけで、一般のお客さん用のはまだ港にいたみたいだけど」と船長が港の方角へ親指を向ける。
 ショックで呆けた顔をしていたミュウの目に、怒りの炎が灯った。
(あのおじさん、だましたわね!それならそうと教えてくれりゃいいのに!返してよあたしの苦労!おかげでパンツまでびしょびしょよ!)
 ボートを貸してくれた親切な漁師はちゃんと乗るべき船を教えてくれていたのだが、お馬鹿な彼女は自分の早とちりを認めようとしないのであった。
「まぁ、いいさ。これもユーディア大陸行きだし、このまま乗って行きなよ」
「え?本当?!」ミュウはがばっと身を起こし、瞳をキラキラさせて船長を見る。
「拾っちゃったもんはしょうがないしね。引き返す訳にもいかないし。いいよ。次の港で下ろしてあげる」と船長は可笑しそうに笑いながら言った。
「おっと。自己紹介がまだだったね。私は初凪(はつなぎ)。この船、セイレーン号の船長」
「あたしはミュウよ」
 名乗ったミュウは、少年にも名を聞こうと彼の方を向いた。途端、視界いっぱいに真っ赤な物が映る。まばたきしてよく見ると、少年がにっこりと微笑んでバラの花を一輪差し出しているのだった。
「僕はアルウィンと申します。ミュウさん、これはお近づきの印に」
「はぁ………どうも」どこから出したんだろう、と思いながら、彼女は渋々バラを受け取った。
 ふと、アルウィンが彼女の赤紫の瞳をじっと見た。まだ微笑を浮かべてはいるが、油断のない目付きだ。
「な、何よ?」とミュウはたじろいだ。
「魔力がお強いですね。ひょっとして、異能人(クロス)ですか?」
 鋭い質問に、彼女はギクリとした。
 異能人とは、人間に近い姿を取るが人間ではない。半身が動植物だったり変身できたりする特殊な人類の総称であり、人間よりも魔力や身体能力が優れている。もちろん、竜族であるミュウもこれに当たる。
「う、うん………まぁね」むやみに素性を明かさぬよう口止めされているので、それだけ答えておいた。ここでイエスと答えても、竜族であると教えたことにはならない。異能人には、竜族以外にもたくさんの種族がいるのだから。
「あんたは?」
「僕は人間です。この船にいる方々も、皆そうですよ」
「へ、へぇ〜。あんたも乗組員なの?」ミュウは種族の話から懸命に話をそらす。
 彼はにっこりした。「いえ、旅行者です。船長のご好意に甘えて、特別に次の港まで乗せていただいているんです」
「え〜っ、何だ。さっき、一般のお客さんは乗せないって言ってなかった?」
 ミュウが口を尖らせると、初凪船長はふぅ、と息をついて額に手を当てた。「本当はダメなんだけどね。船賃が足りなくて故郷に帰れないんです、なんて泣きつかれちゃあね。私も甘いわ………」
「初凪船長は、お姿だけでなく心もお美しい方です」とアルウィンがフッとキザな笑みで言った。その笑顔の裏で、ごめんなさい故郷に帰りたいのは嘘です船賃節約したかっただけです、と心の中で詫びながら。
 そうとも知らない船長は眉根を寄せ、吐き捨てるように言った。「ガキんちょが、いっちょ前にそんな安っぽい言葉並べちゃってさ。バラ一輪じゃ、私はなびかないからね」
 でも結局乗せてあげてるじゃん、とミュウは思ったが、突っ込むのは止めておいた。「船長もバラもらったの?」
「ああ。トイレに飾ってあるよ。君も要らないなら、後で花瓶に挿しておきなよ」と彼女はミュウの耳にこそっと囁いた。
「ですが――」とアルウィンが真面目な顔付きになり、話を始めに戻した。「勘違いとはいえ、これに乗って正解かもしれません。さっきの爆発で、旅客船からも火が出ていましたから。もし乗っていたら、巻き込まれていましたよ」
 そこでミュウも、港で爆発があったことを思い出した。嫌な予感がする。
「あれは何だったの?何が起こったの?」
「わかりません。突然だったもので――」
 アルウィンの言葉は、恐怖で上ずった男の叫び声にかき消された。
「今の悲鳴は?!」船長が言い、ミュウとアルウィンも弾かれたように立ち上がる。
 船室の外が騒がしい。助けを求める叫び声と、バタバタ逃げ惑う足音。
「甲板からです!」
 三人は船室を飛び出し、甲板へ向かった。


   

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