第一話 竜族の姫君 (6)


「オ〜ッホッホッホッ!」
 船室を出たミュウ、アルウィン、初凪(はつなぎ)船長の耳に飛び込んできたのは、狂ったような女の高笑いだった。急いで甲板に上がると、乗組員全員が恐怖と怒りに張りつめた顔でただ一点を見つめていた。初凪船長に気づいた一人が「船長!あの女が……!」と指を差す。
 船べりに若い女が立っていた。高い位置でポニーテールにした亜麻色の髪を潮風になびかせ、あごに手を添えて甲高い笑い声を放っている。すぐ下には、乗組員の制服を着た男と女が青白い顔をして倒れていた。その二人へちらちらと気づかう目線を向けつつも誰もが助けに駆け寄るのをためらい、高笑いしている女を油断なく見すえて歯を食いしばっている。
「あれ、誰?」
「さぁ………この船の方ではないと思いますが」ミュウに訊かれたアルウィンは、女を見て首を傾げる。
 初凪船長は大きくため息をついて言った。「またタダ乗り?千客万来だね、今日は」
 タダ乗り一号と二号で肩身の狭いアルウィンとミュウは「いや、あの……すいません」とたじたじと謝った。
 女が高笑いを止め、きついオレンジの瞳で甲板にいる全員をなめるように見渡し、口を開いた。「可哀想だけど、ここから先へは行かせなくってよ。この船に雷竜(サンダードラゴン)族の王女を乗せているのなら、大人しく渡しなさい。さもないと――沈めるわよ?」
 最後の言葉には凄みがあった。
「可愛らしい顔して恐ろしいこと言う方ですね………」とアルウィンが表情を引きつらせた。
 女はムッと眉根を寄せ、彼を睨んだ。冗談に受け取られたことが気に食わないらしい。「本気だってこと、教えてさし上げますわ」
 甲板に伸びていた帆柱の影が、ゆらゆらっと揺れた。女が片手を振ると、影はぐにゃりと空中に立ち上がり、ヘビのようにうねりながら傍にいた乗組員三人をからめ取った。とぐろを巻くが如くギリギリと身体を絞め上げ、三人共苦しそうなうめきを上げてぐったりすると、女の合図で影は元の場所に戻った。甲板に投げ出された彼らを仲間が駆けつけて助け起こし、女を警戒してじりじりと後ずさる。
 アルウィンは目を見張った。「あの魔法は………?!」
「闇の魔法!侵入者(あいつら)の仲間?!」
 思わず叫んだミュウは、しまったと口に手を当てた。
 だが、もう遅い。女の目がミュウに留まった。唇がゆっくりと弧を描く。「あら、いるじゃないの。王女様」
 ミュウは口を押さえたまま、目を見開いて女を見つめ返した。何故、王女だと見破られたのだろう。今のミュウの恰好はドレスでもなく王家の紋章を身に着けているでもなく、濡れた服の代わりに貸してもらった乗組員のみすぼらしい制服。どう見ても王族の服装ではない。闇の魔法だの侵入者の仲間だのと言ってしまったが、それだけでは奇襲を受けた場に居合わせた雷竜族だとわかる程度のはず。何故、この女は自分を見て“王女”と正確に発音したのか――。
「王女?」
「この子が?」
 アルウィンと初凪船長がさっと振り向き、ミュウを見た。
「え……っと………その………」
 どうごまかそうかと頭を悩ませていると、二人の視線はあっさりと女の方へ戻った。
「いや、彼女は溺れかかっていたのを助けただけで」
「王女じゃないと思うけど」
 二人は大真面目にきっぱりと言った。
(完全否定っ?!)
 さぞや驚いているだろうと思っていたミュウは、少し傷ついた。二人共、心の底からミュウが王女であるはずがないと思っているようだった。
 しかし、女は鼻を鳴らした。「そのお二方は騙せても、このメビウスの目はごまかせませんわ。あなた、囚われのミュリエル王女にそっくりですもの」
 ミュリエルの名が出た時、ミュウの肩がビクッと跳ねた。鉄の棒で殴られたように頭が真っ白になる。グワァーンと耳鳴りがした。「囚われの………ミュリが?」
「それとねぇ」と女は彼女に指を突きつけて言った。「ブレスを持っているのが何よりの証拠ですわ」
 そう言い終えるや否や、女の姿がかき消えた。ミュウはパチッと一回まばたきした。目を開けると、いつの間にか目の前に女がいた。
「!!」
 何て素早い。その間にミュウが出来たことと言えば、息を呑むのが精いっぱいで、抵抗する暇もなかった。彼女はミュウの腕を引っ張り、白い手首にはめられた黄金の腕輪を強く握り締めようとした。
 だが、それは叶わなかった。女の指先が触れた途端、腕輪はスッと消えた。腕輪があった所には淡い黄色の光の輪がぐるりと囲んでいる。実体のない光をつかむなどできる訳もなく、女の手に触れるのはミュウの手首、皮膚の感触ばかりであった。
(何、これ?どうなってるの?!)
 ミュウは赤紫(ピアニー)の目を丸くした。確か、船に引っ張り上げようと手を貸してくれた乗組員達も、腕輪をはめたこの手首をつかんだ。しかし、その時は何も起こらなかった。腕輪はそのままだったし、光の輪など現れなかったのに。
 訳がわからず混乱するミュウとは対照的に、女は満足気に薄く笑った。「ふふっ。ディアギレフ様がおっしゃっていたのは、このことでしたのね。盗もうとする意思のある者には触ることができない――まさしく、本物の竜の息吹(ドラゴン・ブレス)………!」
 ミュウは女をキッと睨みつけ、その手を振り払った。女はさっきのように瞬時に移動し、ミュウと距離を取って対峙した。
 ミュウが手首へ目を落とすと、光の輪は消え、腕輪が戻っていた。よくわからない奇妙な魔法具(アイテム)だ、と改めて思う。こんなことなら、お母様に詳しく教えてもらうか説明書をもらっておくんだった、と彼女は後悔した。
「ディアギレフって誰よ?あんた達は誰なの?何しにあたしの国にきたのよ?!」
 怒りがにじむ声を張り上げたミュウを愉快そうに見ながら、女は気取った仕草でポニーテールの毛先を後ろへ払った。左耳で黒曜石のピアスが揺れる。胸の前で腕を組み、女はもったいをつけて話し出した。 「これは失礼を。ご挨拶が遅れてしまいましたわね。わたしの名はメビウス。ディアギレフ様の第六配下ポワ様にお仕えする者。ディアギレフ様というのはわたし達の主、闇竜(ダークドラゴン)様のことですわ」
 メビウスを睨むミュウの瞳が、かすかに震える。
(闇竜……ディアギレフ………。お母様の言った通りだわ。じゃあ、本当に闇竜の封印が解けちゃったってこと………?)
 二人を交互に見た初凪船長がしびれを切らし、「何の話をしているの?」と警戒を含んだ声で訊く。
 その問いを無視し、メビウスは続ける。「あなた方、竜族はディアギレフ様にとって目ざわりなのよ。せっかく封印が解けて自由の身になられたあのお方を、竜族(あなたがた)は再び封印しようとするでしょうから。でも、それも竜の息吹があるからこそできる術。竜の息吹さえなくなれば、あの方は自由に動けますわ」
 彼女は薄気味悪い笑みを口元に浮かべた。「竜の息吹は竜神が創った物。神が創った物は神にしか壊せない。ディアギレフ様はこの世におわす唯一の神。つまり、竜の息吹を破壊する力がありますわ。一度はめたら外すことができず、命尽きれば新たな持ち主へ転移する厄介な神の遺産を抹消するには、持ち主の肉体ごと一気に破壊するのが手っ取り早いでしょうよ。そう思いませんこと?エルミューゼ王女」
 それを聞いて、ミュウはさーっと青ざめた。
(肉体ごと一気に破壊って………リアル………)
 彼女は、太い木の幹に何重にも縛りつけられて得体の知れない導火線を身体中に取りつけられている自分の姿を想像した。闇竜がどんな奴かはわからないが、ケケケッと邪悪な笑い声を立てる人物が点火スイッチを押す――三、二、一、ドォオオオオオオオン………!!
(いやぁあああああああ〜!!こっぱみじんいやぁああああああああ!!!)
 自分の想像にダメージを受け、ミュウは頭を抱えて叫びそうになった。
 そんな彼女を気にも留めず、メビウスは視線を初凪船長へと移し、こう言った。「ねぇ、船長さん。悪いことは言いませんわ。王女様をこちらへ渡してくださらない?そうすれば、この船もあなた方全員も見逃してさし上げますわ。これ以上、怪我人を増やしたくないでしょう?」
 ミュウははっとして周りに目を走らせた。メビウスを睨みすえてじっと息を殺していた乗組員の視線が、ミュウに向き始めている。一人、また一人と彼女の申し出に心がなびき始めているのは明らかだった。もし、彼らが申し出を呑めば、ミュウには味方も逃げ場もなくなる。戦う覚悟はあるが、この人数が敵に回れば多勢に無勢。その上、メビウスがあやつる闇の魔法に対抗する術を、ミュウは知らない。
 彼女は頭を上げて背筋を伸ばしたまま、身をこわばらせて周囲の視線を受け止める。
 だが、初凪船長の一声で多くの視線が彼女からそれた。船長はメビウスに向かって堂々と言った。「事情はよくわからないけど、この子が正真正銘の王女だとしたら、ずいぶん失礼な対応なんじゃない?まるで、逃げた捕虜を取り返しに来たように聞こえるね」彼女は相手と同じように腕を組んだ。「この子を預けても、君の方で丁重なもてなしを受けられるとは期待できない。しかも、君はうちの船員を五人も傷付けた。申し出を受けた所で、本当に見逃してくれるのかどうかも疑わしい。それに、そんな脅しに屈するようじゃ、海の女の名がすたる」と、彼女は胸をドンと叩いた。
 沈黙を守っていた乗組員の数人が、力強く頷く。「いいぞ!」「船長、かっこいい!」と口々に声が上がり、ヒューヒューと口笛が飛ぶ。
「それは、ノーという答えと受け取ってもよろしくて?」と、メビウスは瞳を細めた。
 ほっとしたような申し訳なさそうな顔で見つめるミュウを目で制し、初凪船長は「そうなるね」と答えた。
 メビウスは面倒くさいとばかりに、やれやれと息をついた。「大して魔力もないアリの集団のくせに、威勢だけはいいこと。勝算がおありなのかしら?」
「ミュリはどこにいるの?答えなさいよ!あの子に何かしたら承知しないから!」ミュウは怒鳴った。
 メビウスはつんとあごをそびやかし、「妹姫の安否を知りたければ、こっちにいらっしゃいな」とだけ答える。
「誰がついていくもんですか!」
 導火線でこっぱみじんなんてごめんだわ、とミュウはブルルッと頭を振った。この方法はただの想像でしかないものの、どちらにしろ闇竜は竜の息吹を持つ彼女を五体満足で生かしておく気はないだろう。そう考えると、肌にあわが立った。
「では、仕方ありませんわね」とメビウスは鼻に抜ける笑いをもらす。しかし、目はもう笑っていない。「力ずくでも連れて行きますわよ!」
 船上の影という影がグニャリと輪郭を揺らした。帆柱の影、ロープの影、人の影。
 甲板の全員が武器を持ち、魔法を使える者は手をかざして身構える。武器を持つ手はどれも震えていた。刃も銃弾も、影には効かない。
 アルウィンと初凪船長がかばうように前に出たが、ミュウは二人を押しのけた。「あたしも戦える!」
 ミュウは手の平に魔力を集中させた。パリッパリリッと火花を散らす雷が球体状に集まる。
 ところが、初凪船長が悲鳴にも似た声で厳しく言った。「やめて、雷は!マストに当たったらどうするの?!」
「そんなこと言ったって!」
 あたしの属性は雷なのよ、とイライラしたが、ミュウは仕方なく魔法を引っ込めた。代わりに、スッと右手を伸ばす。竜の息吹が手首でポゥッと輝いた。次の瞬間、彼女の手には剣が握られていた。
 どこからともなく現れた剣に、周囲がどよめいた。
「今の見たか?剣が………」
「どこから出したのかしら?」
 聞こえてくる疑問の声に答えている暇はなかった。ミュウは剣の柄をしっかり握り、構える。影は斬れなくても術者は斬れる。日頃の訓練の成果が試される時だ。
 ミュウの赤紫の瞳とメビウスのオレンジの瞳。強気な視線がぶつかり合う。
 メビウスの目が不敵につと細められた時、ミュウの背筋にぞわりと震えが走った。
 背後に誰かいる。肩ごしに振りかえると、黒一色に塗りつぶされた自分がぼんやりと立っていた。もう一人の自分――影がニタリと笑う。向き合う間もなく後ろから羽交い絞めにされ、腕を絞め上げられた。
「っ!」
 カランと剣が落ちた。平面的な黒い手が伸びてきてそれを拾い、刃先をミュウの喉元に突きつける。なす術もなく、彼女はヒュッと息を吸ってピタリと動きを止めた。
 周りのあちこちでも黒い触手のように影が足元から伸び上がり、からみつき、身動きが取れなくなった者がうめいていた。初凪船長もアルウィンも、一人残らず皆、己の影に動きを封じられている。
 冷や汗が一滴、ミュウの頬をつたう。両腕は背中で固定されてびくともせず、足から腰までも影に巻きつかれている。首筋には、後ろから回された剣をあてがわれている始末だ。更に悪いことに、甲板中の人間全員が彼女と同じ状況にある。剣や刀を手にしていた者は影に奪い取られてあごに突きつけられ、銃を手にしていた者は側頭に銃口を向けられている。
 助けはこない。
 船べりに腰かけて高みの見物をきめこんでいたメビウスが口元に手を当ててミュウを見下ろし、クスクス笑った。「ふふっ。手も足も出ないとはこのことですわね。どう?自分の影に捕らえられた気分は?」
 スタッと軽やかに甲板に降り、彼女は一歩ずつゆっくりとミュウに近づく。
「くっ……………!」
 ミュウは彼女をきつく睨みすえ、奥歯を噛みしめる。影を振りほどこうともがくと、剣の切っ先が喉に食い込む。ミュウはぎょっとして、もがくのを止めた。
 メビウスは靴音を響かせてゆっくり、ゆっくりと近づく。
 手を伸ばせば届く距離まで接近したその時だった。

 ………ボッ……ボボッ……ボォオオオオ…………。

 奇妙な音に、彼女ははっとして立ち止まる。
 背中で絞めつけられた手の平を上向け、天へと火柱を突き上げた者がいた。
 火柱は彼の頭上に集まって渦を巻いた。いましめの影がスッと消える。
 アルウィンは自由になった腕を上げ、指先をメビウスへ向けた。
「きゃあっ?!」彼女は悲鳴を上げて、身を引いた。
 数瞬遅れて、ミュウとメビウスの間にゴォーッと勢いよく燃える炎の塊が飛び込んできた。炎はミュウの頭上で大きく渦を巻き、彼女の身体を照らした。 


   

web拍手 by FC2

  inserted by FC2 system