第二話 交錯する想い (3)


「じゃあ、その二人以外のメンバーとは一緒に来てるんだな?」
 (ラン)がそう訊くと、茉莉(マオリ)銀針(ギンシン)(うなず)いた。
 蘭はふっ、と肩の力が抜けた。茉莉と共に珠香(シュコウ)の看板踊り子だった茘枝(レイシ)碧螺(ヘキラ)がいないのは残念だが、それでも他の団員は離れ離れになっていないと聞いて心から安堵している自分がいた。それは、独りっきりで仲間から離れる道を選ぶしかなかった自分と、珠香の人達とを無意識に重ねていたのかもしれない。
 彼女は懐かしそうに灰色の瞳を細めた。「大袍(ダーホウ)団長も皆も元気か?」
「うん。男ばっかりで、元気すぎて困る位よぅ。姐さん達がいないから稼ぎは減っちゃったけど、何とかやってるわぁ」
 茉莉がふんわり微笑むと、銀針が頭が痛いとばかりに大仰(おおぎょう)な動作で黒い短髪をごしごし(こす)った。「茉莉がうちの唯一の花形って時点で、客足はガタ落ち。人数多いから、毎日食べていくのもやっとさ………」
「そこまで言うことないでしょ〜が!私だって頑張ってるもぉん!可愛いって言ってくれるお客さんだっているもぉん!」
「そういうことで、蘭」と彼は、隣で(こぶし)を振り回しながらぴょこぴょこ飛び跳ねて訴える彼女を視界から綺麗に外し、蘭の肩にぽんと手を置いて言う。「よかったら、今夜の珠香(うち)の公演に出てくれないかな?」
「あたしも?いいのか?!」蘭は思い掛けぬ提案に飛び付き、猫のような丸い大きな目を更に真ん丸に見開いた。
 彼はにっと笑って見せ、「君と並んで踊らせれば、この子も引き立て役位には使えるからさ」と茉莉を指差す。
「ええ、ええ。どうせ、私なら十分、蘭の魅力を引き立てられるでしょうよぉ………」
 いじけたようにそう言って泣き真似をする茉莉に、蘭はぷっと吹き出した。彼女は昔から、こうやって仲間にからかわれる事が良くあった。それだけ可愛がられている証拠なのであろうが、本人にとっては余り愉快ではないかもしれない。
「引き立てとかじゃなくってさ」と(なだ)めてから、蘭は彼女に大きく笑い掛ける。「あたしは茉莉と踊りたいよ。久しぶりに会えたんだし。珠香の皆がいいって言うんなら」
 勿論、と二人は声を(そろ)えてにっこりと応じた。
 蘭は公演予定の酒場の場所と時間を聞き、そこで彼らと待ち合わせる事になった。
 今夜の稼ぎ口を確保出来た所で、彼女は会った時から抱いていた疑問を二人に投げ掛けた。
「ところでさ、どうして糸路(シルクロード)にいるんだ?漢から出たことなかったのに」
「それが………」
 急に、茉莉の表情が憂いを帯びた。話すのを躊躇(ためら)うように視線を泳がせ、銀針を見上げる。
「どうもこうも、あんな状態の国にいつまでもいられないさ」と太めの腕を幅の広い胸の前で組み、銀針が深刻な顔で彼女の代わりに言葉を紡ぐ。「ここ最近、皇帝の悪政に不満を訴える地下活動が活発でしょう?捕吏(ほり)との衝突も激化していて、数ヶ月前に捕吏が捕らえた革命軍の連中に、旅芸人をしている者も少なからずいたみたいでね。捕まえ損ねた残りを洗い出そうと、奴らは旅芸人と見れば手当たり次第連行し、拷問にかけているのさ。革命軍との繋がりがないという確かな証拠が出せない限り、あることないこと自白して処刑されるか、そうじゃなかったらそのまま責め殺されるって話だ。 だから皆、疑われるのを恐れて、糸路にまで逃げて来ているんだよ」
 蘭は息を吸い、()いで怒りと悲しみが混じり合った面持ちで眉をきつく(ひそ)めた。「酷いことするな。旅芸人だっていうだけで……そんなの、言いがかりだろ」
 彼は余り可笑しくなさそうに口の端を曲げて笑った。「旅芸人が(さげす)まれ(うと)まれるのは、今に始まったことじゃない。それに、政府は妖力持ちが革命軍側に多くつくことを恐れているんだよ。どんな能力を持つのかわからない人間ばかりが相手というのは不利だからね。邪魔な芽は先に()んでおこうって魂胆なんでしょう。遊芸人には特に………」
「妖力持ちが集まるから、か………」と蘭が低い声で言い、唇を噛む。
 差別はこういう所にも及ぶのだと思い知らされる。定住もせずに技芸を売って日々の食い扶持(ぶち)を稼ぐ遊芸人は、世間からは物乞いに向けるものと変わらない蔑みの目で見られる事がある。そして、犯罪に手を染める以外に妖力を有効活用するには、投げ銭を得るための芸として使うしかないと考える人間も未だにいる。その考え方に()っとって生きるしかない妖力持ちも。
 しかし、だからと言って旅芸人や妖力持ちを反逆者だと疑って良い理由はない。()してや、明確な証拠もないのに手酷い尋問を受けさせる等、時代錯誤も(はなは)だしい。
 それまで押し黙っていた茉莉が、漆黒の瞳を微かに震わせて蘭を見つめた。「蝃蝀(テイトウ)はまだ漢にいるんでしょお?大丈夫かなぁ?」
「国内にいた方が安全なんだ。不穏な動きを見せない限りは」
 蘭は周囲に素早く目を走らせ、此方(こちら)に聞き耳を立てている者がいないか確かめると、声を忍ばせて二人に話し始める。「元々、うちの団長夫婦が暗器の秘術を受け継いで暗殺者を育てる一門の出で、政府から危険因子としてマークされていたらしい。その一門が潰された時に二人も一度捕まったけど、暗器の技を暗殺目的には使わないっていう誓約で先代の皇帝から遊芸人として生きることを許された。で、その時の誓約の一つに皇帝の目の届く範囲、つまり漢の中だけで巡業するように、っていうのがあるらしいんだ。逆に言うと、国内にいる間は皇帝の庇護の下にあるが国外へ出れば反逆者とみなし命はないぞ、って脅しだな」
「それって………!」と茉莉が心配で(たま)らない様子で、彼女の腕にしがみ付いた。「蘭が糸路に出てきちゃったら、蝃蝀の皆が危ないんじゃなぁい?」
 蘭は頭を振り、考えながらゆっくり言った。「団長も(チー)母さんも、メンバーの大半が漢に留まってるから問題ないんだと思う。多分、二人が国から出なければ、政府も手出しできないってことになってるんじゃないかな。(トン)兄が独立した時も何もなかったし、あたしの時も心配して止められはしたけどそういう話はされなかったから」
 熱心に耳を傾けていた銀針が、「典馭(テンユ)団長も苦労してるんだな。そんな話は初めて聞いたよ。どういう事情があってそんな誓約を?」と蘭に訊く。
 彼女は小首を傾げた。「さぁ……その辺は詳しく聞かされてないから、よく知らないんだ」
 疑問に思った事が無いと言えば嘘になる。団長に拾われて蝃蝀に入れて(もら)うより前の二人の話は、(ほとん)ど聞かされていない。特に、その件については団長に訊いても极母さんに訊いてもはぐらかされるだけだったし、兄弟姉妹の誰も教えて貰っていないようだった。 まぁ、無理に聞き出す必要もないし、理由はともあれ安全が守られているという事実は有り難いので、(しばら)く忘れていた事だったが。
 とにかく、蝃蝀は心配ないと蘭が繰り返すと、二人は少し安心した表情を浮かべた。
 すると、今度は蘭の身の上が気になったのか、銀針がこんな誘いを持ち掛ける。「今一人でやってるんなら、珠香に入らないか?蝃蝀みたいな暗器の技は持ち合わせてないけど、かくまってやれるし」
 蘭は温かい心遣いに胸が一杯になり、じーんとした。やはり、持つべきものは同業の仲間だ。
「銀針………っ」
「それに――」と彼は、彼女が瞳を(うる)ませて感謝の言葉を口にする前に、大真面目な顔付きでこう付け加えた。「君の舞は金になる」
「…………は?」蘭の目が点になる。
「蝃蝀は君の舞と燕緋(エンヒ)さんの歌で荒稼ぎしているじゃないか。是非ともこの機会に、その恩恵にあやかりたいものだよ。うちだって六人もいるから、稼ぎは多けりゃ多い程いい。俺の分け前も増えるし」
 彼は(あご)に手を当ててほくそ笑み、頭の中で何やらセコい計算を始めた。
「狙いはそれかよ………」蘭は片手で顔を覆い、がっかりして嘆息する。
「金の亡者は置いといてぇ」と茉莉がにこやかに彼をぐいっと押し退ける。「私も蘭がきてくれるなら嬉しいよぅ。女の子一人だけで寂しいんだもぉん」
 そう言って童女のようにあどけなく瞳を和らげる彼女を、蘭はじっと見つめ返した。
 茉莉は親友だ。銀針も金に目がないのが玉に(きず)だけど、根は良い奴だ。それに、他の団員だって良くしてくれる人達ばかりだ。大袍団長はうちの団長の旧友で、芸団同士昔からの付き合いだし、こっちの業界にも漢の事情にも詳しいし、信頼出来る。
 ただ、珠香に入れて貰うとなると、気掛かりはトレジャーハンターの事だった。
(ルミエルは何が何でもついて行くって言いそうだな。それでも構わないけど。でも、他の奴らは?あいつらだけで宝探しなんて出来るのか?あんな、無計画連中だけで………)
 アロド、フィーリア、(まさき)の顔を順々に思い浮かべ、彼女は頬が引き()りそうになる。その場で()ぐに答えを出すのは難しかった。
「………考えとく」
 取り()えず、そう返事をしておいた。
 その後も一頻(ひとしき)り楽しく話し込み、夜の再会を約束して三人は別れの挨拶を交わした。
 茉莉と銀針は蘭と反対方向に向かって歩き出す。話し声が彼女に聞こえない距離まで進んだ所で、それぞれの顔から熱が引くようにすっと笑みが消えた。二人は互いを見ずに呆然とその場に立ち(すく)んだ。
「暗器の技を暗殺目的には使わない、か」と彼はぼそりと言った。「聞いたか?皇帝との誓約だって………」
 茉莉はか細い両手を握り合わせ、辛そうな声を出す。「銀針……蘭にあのこと言った方がよかったんじゃなぁい?」
 すると、彼は首を横に振った。「いいや。ますます、言わないのが得策だと思ったね」
「どうしてぇ?」
 不満を(にじ)ませて反論し掛ける彼女を真っ直ぐに見下ろして、落ち着き払った態度で彼は言う。「茉莉。これは団長命令だよ。誰にも話さないよう言いつけられているでしょう?それに……蘭に知らせたら、危険を承知で彼を止めに走るに決まっている。あの子の気性から言ってね」
「…………」彼女はそっと睫毛(まつげ)を伏せ、黙りこくる。
 それを同意の返事と受け取り、銀針は「戻ろうか」と静かに声を掛けて、また歩き始めた。数拍遅れて、茉莉もとぼとぼと足を引き()って付いて行く。


 時間が経つにつれ、じりじりと強く照り付ける太陽の日差し。気温はぐんぐん上昇していく。冬緑(トンリュー)は手の甲で額の汗を(ぬぐ)った。
 彼は(にぎ)やかな市場(バザール)とは逆の方角、裏通りを歩いている。観光客が寄り付かないような所を中心に、仲間が拠点としていそうな場所を順々に回っていた。閉店の看板が下がっている酒場、旅芸人が多く集まる広場や公園、怪し気な路地を抜けて治安の良くない貧民(スラム)街にまで足を伸ばす。
 一見、当てもなくのんびりと散歩でもしているようだが、彼の涼し気な目は密かに周囲の人間を注意深く観察していた。()れ違う女という女が、彼と目が合うと赤くなって(うつむ)いたり、振り返って見たりする。そういう光景には慣れているので、不快には感じない。
 冬緑は彼方此方(あちらこちら)から注がれる熱い視線に気付かない振りをし、通行人の中に知り合いが(まぎ)れ込んでいないか目だけで探しながら歩いて行く。その暢気(のんき)な歩みからは、早く見つけなければという急いた感情は微塵も見られない。
 突如、視界の先に何かが立ち(ふさ)がった。子供だ。フードで顔を隠した子供が、数メートル先の道の真ん中に立って、此方を見ている。
 一瞬前までは誰もいなかった場所に、まるで降って湧いたように現れた少年の姿を(とら)え、冬緑はやや(まぶた)を上げた。だが、直ぐに驚きを引っ込め、何時(いつ)もの微笑を顔に戻す。
 近付くと、少年はフードの下でにこっと無邪気な笑みを見せた。
「おれ、時計持ってないんだ。次の夜明けを見るには、あとどの位待てばいい?」
 冬緑は笑みを深くした。「君は、ただ待っているだけかい?夜明けの光は自らの手で(つか)むものだと、おれは思うけどねー」
 その答えに、少年は満足気に頷き、彼の隣に付いて歩き出した。
 自然過ぎて聞き流してしまいそうな何気無い会話だが、それが仲間である事を示す合言葉だった。
「覆面して歩きなよ」通りに出ている周りの人々、特に女から注目を浴びている事に気付き、少年が注意する。
 彼は「こんな真っ昼間からそんなのしてたら、逆に怪しまれるよー」と取り合わない。
 少年は(だいだい)色の目でちらっと彼を見遣り、好意的な視線を送って通り過ぎる女達を見遣ると、溜め息を()いた。ああ、何処(どこ)からどう見ても好青年にしか見えないこの人が、重い荷物を持った年寄りがいたら真っ先に手を貸しそうなこの人が、地下で暗躍する組織と大いに関わりがあるなど、誰が予想するだろうか。暴君に支配された夜を打ち破り、新しい夜明けを迎える機会を虎視眈々(たんたん)と狙う革命軍の同志である事など。
「君こそ、マントなんて要らないんじゃないかい?宵明(シャオメイ)」と前方を見つめたまま、冬緑は声を掛ける。
 宵明と呼ばれた少年は生真面目そうな顔付きになる。「おれの力を見破る妖力を持つ奴がいたら、いつ捕吏にバレるかわかんないだろ?妖力ってのは何でもアリだから」
 宵明の持つ妖力は気配を断ち切り、大勢の中に居ても己の存在を完全に()き消す事が出来るというものだ。彼が力を使うと、他の人間は視界に入っているにも関わらず彼の存在を全く認識出来なくなってしまう。身体が透明になる訳ではないが、実質的に透明人間になれるのである。その才は仲間内で重宝がられ、偵察や見張り役を任せられていた。
 宵明は神経質にフードの端を摘まみ、深く下げ直した。下に隠れている髪は若草色、瞳は橙色だ――妖力持ち特有の珍しい外見である。
 冬緑は彼の警戒っぷりを否定はしない。妖力持ちではないが、彼の力を見破れる人物を一人知っているからだ――蘭の目になら、彼の姿はどんな時でもはっきりと映る事だろう。
 少しの間、二人は黙ったまま並んで歩いた。
 不意に、宵明は決心が付いたように冬緑の方を見て、こう切り出した。「内通者のことだけど………」
「見つかったのー?」
「ううん、まだ手がかりも何も……。そのせいでリーダーも羅喉(ラゴ)もピリピリしてる」
 ふーん、と冬緑は(うな)った。
 二ヶ月前に漢で襲撃を受けて以来、捕吏とは何度か衝突している。仲間しか知らない(はず)の隠れ家をこう何度も突き止められるのは、革命軍の中に捕吏に内通している者がいるとしか考えられなかった。最後に集まった時、国内の拠点は敵にバレているとリーダーの破暁(ハギョウ)が判断し、一旦糸路に入って態勢を立て直す事が決まった。こうして各自別行動で糸路に向かい、何度か集合を試みながらも断念し、最終的に民丰(ミンフォン)に集まって来たという訳だ。
 しかし、問題の内通者が誰なのかがまだわからない。変装して潜り込んだ捕吏の仕業か、それとも金欲しさに捕吏に雇われた野良犬か。
「どこから紛れ込んだ(ねずみ)か知らないけど、余計なことをしてくれるもんだねー」
 そう口にする冬緑は、口調も表情も穏やかだった。だが、良く見ると(りん)とした冬の森を思い起こさせる緑の瞳の奥に、静かに渦巻く吹雪が見える。その中心には、怒りと憎しみの青白い光が宿っていた。
 たった一瞬の変化だったが、宵明はその目の冷たさにはっとして、身が竦む。未だ正体不明の密偵を、彼が心から(わずら)わしいと思っているのは明白だった。
 宵明は彼の顔から視線を外し、「そうだよね……」と小さく(つぶや)いて俯く。
「うん?」と優しく首を傾げて聞き返す冬緑に、少年は何でもない、と頭を横に振り、今夜の集合場所と時間を告げる。
 役目を終えた宵明は立ち止まった。冬緑はそのまま歩き続け、背中で小さく手を振って「了解」の合図をする。
 道の真ん中で立ち止まったまま、宵明は遠ざかる背中に真剣な眼差しを注ぐ。行き交う人々は彼などその場にいないかのように、一瞥(いちべつ)もくれずに通り過ぎて行く。
「冬緑、おれは貴方を信じてるよ。羅喉が何と言おうと………」
 初めの頃は、革命軍に志願した者の中には武器の扱いに慣れていない者が大勢いた。彼らに戦いの技を教え、捕吏と渡り合えるまでに(きた)え上げたのは、紛れもなく彼なのだ。仲間内での彼の功績も信頼も大きい。羅喉が彼の事を悪く言うのは、所詮(しょせん)(ただ)の逆恨みだろう。そう宵明は信じていた。
 少年はフードを目深に(かぶ)り直し、マントをふわりと(ひるがえ)して向きを変え、雑踏の中に溶け込んだ。

 仲間に対する彼の真意は、今夜わかる。


     
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