第一話 懐かしき調べ (2)


「ルー、あたしの質問に簡潔に答えるんだ」(ラン)は腕を組み、今にも怒鳴りたいのを我慢しているように片眉をぴくぴくさせながら目を閉じて言った。
「う、うん………」ルミエル・エキュレルは強要された訳でも無いのに彼女の雰囲気に呑まれて正座をし、緊張気味にこくりと(うなず)いた。
「どうして……どうしてお前は………っ」
 そこで蘭はかっと目を()き、部屋中をぐるっと見渡して、「どうしてお前は、こんな奴らを保護者に選んだんだ?!」と、そこにいる三人――フィーリア・ラズウェル、アロド・ジェイ・スタインカーン、斎部柾(いんべまさき)の順に指を突き付ける。
「どうしてって言われても………」ルミエルは冷や汗を掻き、困ったように答えた。
 砂漠に埋もれた古代遺跡、楼蘭(ロウラン)を南へ下り、崑崙(コンロン)山脈の北麓(ほくろく)を繋ぐ道である西域南道の入口の町、若羌(チャルクリク)で束の間の休息を取った五人。 西域の町は小規模なものが多いが、そこから更に西へ行くともう少し大きなオアシス都市、且末(チェルチェン)がある。楼蘭遺跡を発掘した後、特に目的地を決めていなかったのもあり、その町ならば品揃えも多いであろうと食料や必要な物を買い足す為に丸一日掛かりで且末に辿(たど)り着いたのだった。
 ところが、且末に着いて二日目の朝にして、旅の資金はまたもや底を突きそうになっていた。何故、そんな事になったのか。理由は至極単純かつ明白である。この三人が使ってしまったからだ。
「見て見て、この服!可愛くなぁい?」フィーリアはレースをあしらったワンピースを両手で持ち、見せびらかすようにひらひらさせた。長い間、店どころか民家さえ無い砂漠地帯で野宿生活を送っていた反動か、彼女は町に着いてすぐにお買い物症候群の発作を起こしていた。
「リア!お前、また服買ってきたのか?!」
「そうよ。皆の分もあるからね」柳眉を逆立てる蘭とは対照的に、フィーリアは浮き浮きして言った。「こんな砂漠の小さい町で、ラビレの服が買えるなんて………」空色の瞳を夢見るように(うる)ませて恍惚(うっとり)とそう言うと、ワンピースをぎゅっと抱き締めて頬擦りする。
 ラビレというのは、『The Rabbit in Red』という彼女お気に入りのファッションブランドの事である。こんな砂漠の田舎町にも支店があるというのは驚きだが、今ばかりは流石の蘭も、畜生この女に買い物熱起こさせやがった店めさっさと潰れちまえと心の中で舌打ちしてしまう。
「昨日も買ってただろうが!」
「いいじゃない。替えは多いと便利だし、それに蘭も着るでしょ?」
「そんなフリフリしたヤツ、着るもんか!」
「あら、よく着る踊りの衣装だって、フリフリしてるじゃないの」
「だからこそ、普段は着ないんだっ!」蘭は猫であったなら全身の毛を逆立てているであろう剣幕で、吐き捨てるように言った。
 フィーリアは、「そうねぇ……だったら………」とブランド名がプリントされたショップバッグをごそごそ引っ掻き回し、中から一枚引っ張り出した。「これなんかどう?」
 彼女が広げて見せたのは、白黒ボーダーのコンビネゾンだった。上はホルターネックのキャミソールで金のダブルボタンが付いていて、下は裾を折り返したショートパンツの形になっている。フリルやレースは無いシンプルなマリン風のデザインで、動き易そうだ。
「わぁ、可愛い!これ、いいな」
「いいでしょ?じゃあ、それはアンタにあげる」とフィーリアは片目を(つぶ)った。
「わ〜い、新しい服〜………って、そうじゃない!」
 思わず満面の笑みで賛同し掛けた蘭は、そこではっと気が付き、説教モードに戻った。「全員の着替えを買ってきてくれたのはいいんだけどな、明らかに買い過ぎだって言ってんだよ!」
 今居る宿屋の男性陣の部屋、しかもアロドのベッドの上にはふっくらとお腹を膨らませたショップバッグが幾つも幾つも山と積まれている。その中には四角い大きな箱も人数分あって、それはどうやら靴らしい。
「ひでぇ量だろ?これ全部、もたされたんだぜ」すっかり占領されてしまった自分のベッドを見()り、アロドがげっそりして言った。フィーリアの買い物の間、ずっと荷物持ちをさせられて心身共に疲れ切っているようだ。
 だが、蘭は同情よりも怒りの方が勝り、丸く切れ長の灰色の瞳をギンッ、と怒らせて彼を睨み付けた。「そう言うお前は、何を買ってきたんだ?!」
 彼女がビシッ、と指を向けた先、アロドの足元には酒瓶を入れた箱が三つと、他に紙袋が二つあった。
 一瞬、何で怒られているのかわからずきょとんとした彼は、()された箱と袋を見て、「ああ」と声を上げた。「このワインは、酒屋の店主にすすめられたんだ。うまいんだってよー。あとで、みんなで飲もうぜ。こっちは、また砂漠に出たらいつ買えるかわかんねーから、タバコの買いだめを――」
「禁酒禁煙しろやこの不良め!!」彼が最後まで言い終えるのを待たず、蘭は激怒して叫んだ。「また無駄遣いしやがって!」
「ムダづかいじゃねーよ。どっちも生活必需品なの」
「どこがじゃボケッ!!」
 蘭にぴしゃりと言い返されても、アロドは酒と煙草(たばこ)は自分には必要不可欠な物だと言い張って聞かなかった。
「そうそう、ちょっくら頼みがあんだけど……」と、仕舞にはこんな事を言い出す。「今夜、柾と飲みに行く約束してんだけどさ、これ買っちまったから金足りなくなって。いやほら、しょうがねーじゃん。生活必需品だから………」
 しどろもどろに言い訳する彼を、蘭は黙って見つめた。しかし、その表情は穏やかとは程遠かった。口を真一文字に引き結び、彼が何か言う度に額に浮き立つ青筋の数が増えて行く。
「それで?」
 彼女の氷点下に達した冷え冷えとした目付きに気付いていないのか、(ある)いは気付いているが頼めば聞いてくれると信じ切っているのか、アロドは普通ならそこで言うのを思い留まるような状況であるにも関わらずそれを口にした。「それでさ、あの……ちょっとでいいから、金貸して」
 彼はそう言うと、済まなさそうに朱色の頭を掻きながら片手を出した。
 蘭の忍耐がぶち切れた。手を高く振り上げ、差し出された大きな手を有りっ丈の力を籠めて勢い良く叩いてやった。バチーン、と良い音がした後、アロドが「いってー!」と叫ぶ。
「これで何回目だと思ってんだ?!誰がてめえの飲み代なんか出すかこのニンジン頭!」
 大声で怒鳴りつけた蘭は、息が切れてゼエゼエと(あえ)ぐ。叫び過ぎて段々、声が()れて来た。
「な。だから、早く逃げとけって言ったろ?」柾が他人事とばかりにのんびりした口調で言った。
 思い返せば、高昌(トルファン)で旅の資金が無くなったと大騒ぎした彼らを見て、蘭が舞で稼いで手伝おうと宿を出ようとした時、柾は確かにそう言っていた。
『そんなの、気にすんなよ。それより早く逃げた方がいいぜ。さっきの見てただろ?あいつらは――』と。
 彼が言おうとしていた事の意味が、やっとわかった。フィーリアは服飾品、アロドは酒に煙草おまけにギャンブルと、とにかく手当たり次第浪費しまくっている。無計画で無鉄砲も良い所だと呆れる位に。しかもきっと、彼らにとってこれは日常茶飯であるに違いない。散財した挙句、資金不足に気付いて働いて稼ぎ、貯まったら遺跡発掘に向かう。 こういう周期(サイクル)が出来上がってしまっているのだ。だから、昼はアロドとフィーリア、夜は柾が交代で働くという役割分担まで決まっているのだろう。
 何と恐ろしい………過酷な糸路(シルクロード)を、甘く見て掛かると下手をすれば命に関わるこの糸路を旅するには、恐ろしい程計画性が無さ過ぎる………!
 蘭はがっくりと項垂(うなだ)れ、弱々しい声で言った。「そうだな……本当にそうだ。あの時、こいつらなんか助けないで逃げときゃよかった………」彼女はひくひくっと口の端を引き()らせた。「だけどな……後悔する原因はお前にもあるってこと、わかって言ってんのかぁあああ?!」弱々しい口調だった蘭は突如、語気を荒くし、柾の方へ指を差した。
 部屋の隅に座り込んで壁に背を預けている彼の周りには、甘く温かな香りとほんのり湯気が立つ大きな紙袋が幾つも置いてある。先程、散歩に行くと言って出て行った彼が、屋台で買って来た物だった。
 蘭の細く美しい眉が、益々(ますます)吊り上がる。「買い食いするなって、昨日もあれ程言ったはずだ!」
「腹が減っては(いくさ)は出来ぬ、って言うじゃねえか」とまぐまぐ口を動かして、柾は無愛想な表情でしれっと言った。
「さっき朝飯食ったばっかだろうが!満腹中枢いかれてんのか?!お前の胃袋はブラックホールなのか?!」と、彼女は四本の指を揃え、指先で彼の額の真ん中をスコンスコンスコン!と連続で小突く。
 柾は、「地味に痛えから止めろ」と彼女の手首を掴んで遠ざけた。振り解いて尚も攻撃しようともがく彼女の鼻先に、お菓子を一つ近付けて訊く。「要らねえのか?」
「要るか!」蘭はすぐさま噛み付いた。
「へえ、そう。要らねえんだとよ」柾はニヤッと笑って、それをルミエルに渡した。
 ルミエルは戸惑ったものの、蘭の顔色を(うかが)いつつ、「え?あ……ありがとう」と受け取ってしまった。平たく丸い狐色のお菓子を、そっと一口(かじ)ってみる。ぱぁっ、と彼の顔が輝いた。
「おいしい!おいしいよ、これ」
「だろ?」
 美味しそうに食べる二人を見て、蘭はうっ、と行き詰まった。柾が買って来たのは、柿子餅(シーズビン)というお菓子だ。柿を練り込んだ生地に胡桃(くるみ)胡麻(ごま)(あん)を包み、油でこんがりと揚げてある。 香ばしい良い匂いが部屋中に漂い、鼻を(くすぐ)り、朝食で満たされている筈のお腹を(つつ)く。
 柾は焦げ茶の瞳を細めて蘭をちらっと見ながら、「旨いのになあ」と意地悪な笑いを浮かべ、もう一つ二つと手を伸ばして口に運ぶ。
 買い食いへの苛立ちと柿子餅への興味とが葛藤し、見ないようにしようとふいっと横を向いた彼女だったが、鼻先にまた一つ突き出され、うっと息を止めて顔を背ける。反対側を向いても、柾はしつこつ柿子餅をぶら下げて来る。
(こいつ………すげぇむかつく………!)
 ええい鬱陶(うっとう)しい!とばかりに彼女は柿子餅を取り上げた。「ああ、もう!食えばいいんだろ食えば!」
 がぶっ、と男らしく食らい付いて引きちぎると、ぷんぷん怒っていた蘭の表情が一気に和らいだ。
「あ………好吃〈おいしい〉」
 ぽつりと(つぶや)くように声を洩らすと、「おいしいね」「いけるだろ?」とルミエルと柾も言う。
「うん!」蘭は満面の笑みで頬張り、頷いた。
 和やかなおやつの時間が始まろうとしていた。
「………って、違〜う!!」
 またもや流され掛けた蘭は、そこで我に返った。行き成り大声を出されて驚いたルミエルが、半分食べ終えた柿子餅を落としそうになった。
「いいか!もう金ないんだぞ?!お前らがあんな物やこんな物に使いまくったせいで!後先考えて使えよ!生活費どうすんだよ?また総出でバイトか?!」と、彼女は三人とそれぞれが買って来た物を右手で交互に指差し、怒鳴った。握り締めた左手の中では、食べ掛けの柿子餅がぐしゃっと潰れていた。
 アロドが緩る緩ると両手を頭の後ろで組み、染みだらけの天井を見上げる。「うーん……だけど、オレなんか特に稼ぎ少ねーしな。妖力持ちだから、雇ってくれるとこあんまねーから」
「この中では、蘭が一番稼ぎいいのよねぇ」
 フィーリアまでもがそんな事を言い、二人揃って何かを期待するような目で蘭をじぃっと見る。
「あたしに頼んな!自分(てめえ)で稼げ!」喉がヒリヒリ痛むのも構わず、蘭は怒りを爆発させて二人にがなり散らした。
(あたしを仲間に引き入れた本当の目的はこれか?!あたしに稼がせて、楽しようってのか?!それがお前らの本性かよ?!前科があるアロドはともかく、しっかりしてそうに見えるリアまで我慢が限界に達すると買い物で発散しまくるし、柾は妖怪並に食うし………物欲食欲の(かたまり)め!金かかる上にだらしねぇ奴らばっかりじゃねぇか騙されたぜ畜生!!)
 下ろした両手をわなわなと震わせて握り、心中で悪態を()いていると、黒煙がゆらゆらと周りを漂い出した。左肩の辺りに集まった煙が、竜の頭を形作る。蘭と契約した悪魔、火球(カキュウ)がさも愉快そうな嫌らしい笑みを顔一杯に広げ、彼女の耳元で(あざけ)った。
「ヒモが四人ってとこかァ。ヒヒヒ」
 正に自分が置かれている状況を指摘された蘭はカチンとし、彼の首の辺りの煙を掻き集めて片手で絞めた。「うっせ〜よ!今のあたしにその地雷ワードを言うな!今度から“蜥蜴(トカゲ)”って呼ぶぞ?!」
「俺ァ、竜だッ!」途端に、火球は血のように真っ赤な目を三角にして、向きになって言い返す。何故だか知らないが、火球は蜥蜴と言われるのが大嫌いなのだ。
 蘭はバリバリと乱暴に艶やかな藍色の髪を掻き、啖呵(たんか)を切った。「もういい!抜けてやる!ルーはあたしが引き取る。お前らなんかといたら、この子の将来が心配だ!帰る!実家に帰らせてもらう!」
「お前は、離婚寸前の人妻か?」まだもぐもぐと口を動かしながら、柾が言った。
「実家、遠いぜェ?」と楽しそうに火球も言う。
 蘭の家族、蝃蝀(テイトウ)芸術団は遥か東の漢帝国にいて、しかも定住生活をしていない為、居場所を探し当てるのは容易(たやす)い事では無い。(もっと)も、時折手紙を持ってやって来る団長の(はやぶさ)残雪(ザンシェ)に頼めばすぐに教えてくれるのだろうが、蘭自身は本気で帰るつもりは勿論無い。本気なのは、ルミエルを連れてここを抜け、二人旅を始めるという決意の方だ。
 愛用の(しずく)形のワンショルダーリュックを肩に担ぎ上げ、どかどかと足音も荒く部屋を出て行こうとする彼女を、フィーリアとアロドが「待って待って!」としがみ付いて止める。ルミエルはどちらを止めて良いものかわからず、おろおろと三人の周りを回るばかりだ。柾は加わらず、まるでポップコーン片手に映画を観るように柿子餅を食べながらぼーっと眺めているだけだ。
「放せ、墓荒らし共めぇえええ!!!」
 蘭の怒声は閉め切った部屋を飛び出し、宿中に(こだま)した。廊下を掃除していた宿屋の娘がビクッとモップを取り落としたのは、言うまでも無い。


     
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