第四話 ムガルの踊り子 (2)


 六人が振り返ると、ハーヴィー率いるトレジャーハンターの一団が此方(こちら)に歩いて来る所だった。長いプラチナブロンドの髪を()き上げ、鼻で笑いながらそう言ったのは、やはりソーニャだった。
 ハーヴィーが(ラン)(まさき)冬緑(トンリュー)の方へと目を移しながら、アロドに嫌味たっぷりに言った。「へー。そいつらも仲間だったんだ。ようやくチームらしくなってはきたようじゃねぇか。この間までは、そこのガキんちょと三人だけだったもんな」
 ガキんちょと言われたルミエルは、むっとした表情になったが、何も言わなかった。
「ま、人数だけそろえても、肝心のリーダーがクズならチームもクズのままだろうけどな」
 ネロがそう言って(わざ)とらしく()め息を()いて見せると、他の仲間もへらへらと笑った。唯一(ゆいいつ)、笑わなかったのはマリウスだけだ。
「なぁ、マリウス?」と笑いながらハーヴィーが肩に手を置くと、彼は「俺は………別に」と(つぶや)き、躊躇(ためら)いがちに顔を(そむ)ける。
 (くや)しそうに表情を(ゆが)ませたアロドは、彼らに人差し指を突き付けながら蘭達三人に言った。「言われっ放しだぞ?! 何とか言ってやれよ!」
「言われっ放しはアンタだけのような気もするけどね」フィーリアが彼をちろりと見て、(あき)れた声を出す。
 蘭が「宜しくな」とハーヴィー達に手を振り、愛想良くにぱっと笑った。
「よう」
「どうもー」
 柾は無表情な上にぶっきらぼうな調子で、冬緑は爽やかかつ魅力的な微笑で声を()けた。
「それだけかい!」アロドは思わず大声を上げて突っ込んだ。「ただの挨拶じゃん! もっとこう、アイツらをギャフンと言わせるような何かないのか?!」
「ないよ。自分(てめえ)の喧嘩だろ? 自分で言えよ」と蘭があっさり切り捨てた。
 相手チームはそのバラバラな様子に、失笑を()らしている。
 三人に敵意はないらしく、モニカが小鹿のような瞳をぱちぱちさせて同情を込めて言った。「貴方達もォ、勧誘されて可哀想ねェ」
「何だったら、こっちに加えてやってもいいぜ?」とハーヴィーが蘭達に手を差し出す。「一攫千金を狙いたいなら、誰を仲間にするかを良く考えた方がいい。おれ達の方に来いよ」
「だぁれがアンタ達なんかに!」フィーリアが舌を突き出した。
 本来、一攫千金など全く考えていない三人には、彼の言葉はちっとも胸に響かない。だから、口を(そろ)えてきっぱりとこう言ってやった。
「いや、もう手遅れなんで」
 そうだそうだと(うなず)き掛けたアロドは、「え、手遅れってどういう意味?!」とショックを受ける。
「そう? 残念ね」とソーニャが口元に手を当てて、上品に笑みを隠した。
「それはそうと、お前らがここにいるってことは、人のお宝を横取りに来たのか? 中身空っぽのニンジン頭が考えることらしいな」ネロの眼鏡の奥が(するど)く光った。
 アロドの顔が髪の毛と同じ位、真っ赤になった。「っ! 横取りはオマエらの方が先に――」
「そのニンジン頭に于闐(ココ)の情報を喋ったのが運の尽きね」とフィーリアがアロドを押し退()け、腕組みをしてふんぞり返った。「悪いけど、アンタ達が思ってる程うちは馬鹿じゃないし、手柄を盗られても黙って許すような善人でもないのよ」
 そうだ、とアロドが握り(こぶし)を作る。「あん時の借りは、利子つけてきっちり返させてもらうぜ!」
 ソーニャが自分の身体を抱き締めるようにし、「お〜、怖い怖い」と怖がる振りをした。
「恥かきたくなかったら、今のうちに止めて、どっか別の砂場でも掘ってろよ」
「いくら父親が立派だってね、たいてい二代目が潰すのよォ〜」
「それはどうかしら? あまり見くびらない方が身のためよ」
 ネロとモニカが意地悪そうに笑いながら憎まれ口を叩けば、フィーリアが平坦な声で言い返す。後ろの方でマリウスが仲間を盗み見て、眉間の(しわ)を深くしたが、唇は固く引き結んだままだった。
 ハーヴィーが進み出ると、少しばかり背の高いアロドの真正面に立ち、(いど)むような目付きで彼を見上げた。アロドも黙って、その視線を受け止める。
「砂漠の大画廊(がろう)を見つけるのはオレ達だ。邪魔すんなよ」
「そっちこそ、後で泣いても知らねーぜ?」
 朱の瞳とターコイズブルーの瞳が、激しく火花を散らし合った。その隣でも、フィーリアとモニカが同じように(にら)み合いを続けている。
「心地良い邪気の飛ばし合いだなァ」
 蘭の耳元でべとつくような低い声が言った。彼女の陰からこっそり頭だけ出した火球(カキュウ)が、血の色をした目を三日月のように細め、にたり笑いを広げている。
 蘭は火球を一睨みし、敵対心を燃やす二チームに目を戻すと、やれやれ、と肩を(すく)めた。


 ドモコ遺跡の下見を終え、于闐の街に帰って来た時には日が暮れる所だった。空はまだ薄明かるさが残っていて、涼しくなった街中は日中よりも活気に満ちている。仕事帰りの人や買い物客、屋台で夕食を取る親子連れ。蘭達も今夜の食事を取る店を探そうと、車を降りて通りをぶらぶら歩いている。
「ちぇっ。踊っちゃいけね〜なんてよ。あたしから踊りを取ったら、何が残るってんだ」蘭はすっかり不貞腐(ふてくさ)れ、歩きながらぶつぶつ言っている。
「踊り子じゃなくったって、蘭ならすぐ働けるわよ」とフィーリアが(なぐさ)めた。「少なくとも、アルよりずっと仕事できると思うわ」
「へいへい。オレと比較すりゃ、誰でもそうだろーさ」と今度はアロドが(へそ)を曲げた。
 蘭はむうっ、と(しか)めっ面をした。
「さっぱりわからねえな。追われてるくせに、何故、そんなに踊りたがる?」柾が面倒臭そうに素っ気無く言った。「俺だったら、さっさと地味な職に就いて身を隠すけどな」
 すると、急に蘭の表情から感情が消えた。柾の方を見ようともせず、進行方向を見据(みす)えたまま、彼女は固い声音(こわね)で呟いた。「あたしの舞はな、お前ら男共が見て喜ぶだけのちんけなものじゃねぇんだ」
「あ?」
 意味がわからないとばかりに彼が聞き返したが、蘭はそれ以上何も答えなかった。
 皆の意見が正論だとわかってはいる。ここで興行すれば、捕吏(ほり)に自ら居場所を教えるようなものだ。だが、蘭は一人で旅していた時でさえ、踊る事を止めなかった。勿論(もちろん)、生活する上での手段だからというのも理由の内だが、彼女にとって舞う事はそれ以上に大きな意味があった。だから、何度も見つかっては逃げ、見つかっては逃げを繰り返してでも、堂々と舞い続けた。しかし、今は一人で旅をしているのではない。共に行くと決めた以上、仲間に迷惑を掛けたくもなかった。
(どうすっかな〜。また夜中の人がいない時間帯狙って、こっそり一人で踊るか。でも、それをしばらく続けなきゃなんないのは、ちょっとなぁ………)
 稼ぎ無し、拍手も無し、声援も無し。歌も思いっ切り歌えないし、楽の音も大して聞けない。人目を()けて舞うというのは、そういう事だ。舞えるだけで満足ではあるのだが、欲を言えば少し寂しいのだった。
「俺の助けがいるンじャねェかァ?」
 耳障(みみざわ)りな低い声が、彼女を現実へと引き戻した。蘭は付き(まと)う黒煙を指でぴんっ、と弾き、茶々を入れて来る悪魔を追い払う。
 ルミエルが彼女の気を(まぎ)らわせようと、「それよりさ、ご飯どこで食べる?」と明るい調子で言った。
 フィーリアがガイドブックを開いた。「どこがいいかしらね。(リュー)くんは何食べたい?」
「そうだねー………リアは?」
「何でそこの二人だけで進めてんだよ?」
 ごろごろ(のど)を鳴らす子猫宜しく甘えながらガイドブックの(ページ)(めく)るフィーリアと、それをにこにこと(のぞ)き込む冬緑の図に、アロドが不満そうに口を(とが)らせた。
 その時、柾が一軒の食堂の前で唐突に足を止めた。「ここ」
 一言そう言うなり、全員の意見も聞かずに勝手に入って行く。
「え、ちょっと!」
 ルミエルが慌てて呼び止めようとしたが、もう遅い。彼はさっさと店の奥に消えていた。
「すぐ目についた店に入りたい位、お腹が空いてるのね」フィーリアが諦め、ガイドブックを仕舞(しま)う。
「けど、うまそうな匂いするな」とアロドが鼻をひくつかせて、嬉しそうににやっとした。「食い意地っぱりのアイツが見つけた店なら、味は確かだろ。犬みてーに鼻がきくからな」
 柾に聞こえぬよう小さく笑いながら、アロド達も店の入口へと向かう。

 シャン、シャンシャンシャン。

 彼らに付いて店に入ろうとした蘭だったが、耳に飛び込んで来た(かす)かな音にぴくりと身体が反応する。それは、幾重(いくえ)にも重なる軽快な鈴の音だった。耳を(そばだ)てて集中すると、聞き慣れない旋律と打楽器のリズムも聞こえて来る。
(不思議な音楽………どこから?)
 激しい衝動(しょうどう)()られた。踊りたい。踊りたい。踊りたい。
「蘭、どうかした?」
 中に入り掛けた冬緑が、呆然と遠くを見つめる彼女に気付いて、優しく声を掛ける。
「悪い。後で行くから、先に食べてて!」
 そう言い残すなり、蘭は全速力で走り出した。冬緑がきょとんとしたのは一瞬で、すぐにその理由を察して微苦笑を洩らす。楽師たる彼の耳も、遠くで奏でられる音楽を(とら)える事に長けているからだ。
 仲間のいるテーブルに彼が一人で戻ると、「ありゃ? 蘭は?」とアロドが素頓狂(すっとんきょう)な声を上げ、辺りをきょろきょろ見回した。
「んー」冬緑は隣の席に腰を下ろしながら、困った風に言った。「どうやら、あの子に踊るのを止めさせるのは無理なようだねー」
「………え?」全員がぴたっ、と動きを止めた。
 蘭はと言うと、人混みの中を()うように走り抜け、音の方へと向かっていた。角を曲がった先で、(ようや)く旅芸人の一座を発見する。彼女は肩で大きく息をしながら、良く見える所まで近付いてみた。
 旅芸人達は踊り子と歌い手、楽師の三人。皆、褐色(かっしょく)の肌をしている。旋律は老人が奏でるシタールで、声変わり前の少年がタブラを指先で叩きながら歌っている。蘭より幾つか年上に見える踊り子は、二人が(つむ)ぐ楽の音に合わせて、裸足で力強い足拍子を刻んでいた。細みのパンツの上から足首に巻き付けた沢山の真鍮(しんちゅう)の鈴が、一足踏む(ごと)に軽やかに(ふる)える。金模様を浮かせた白いチョリ。翡翠(ひすい)色のスカートは、彼女が急旋回(せんかい)を繰り返す(ため)に円形を保っている。ベールのような()き通ったサリーで頭を(おお)い、その下からは目が合うとはっとするようなエメラルドグリーンの輝く瞳が覗く。紫の(つや)()びた(ゆる)く波打つ黒髪。頭頂から額にかけて付けられた金の装飾品には宝石が(ちりば)められ、取り分け大きな額の宝石が()れる度に煌々(きらきら)と煌めく。金の輪のイヤリングと、蔓草(つるくさ)と花の細工が(ほどこ)されたネックレス。何連も重ねたブレスレットが、彼女の繊細(せんさい)な手の動きに合わせてシャラシャラと音を立てる。切れの良い変拍子の舞だが、優雅な手の所作(しょさ)や左右対称の神秘的な動きなど、力強さの中に華やかな女性らしさが込められている。
 蘭は今までに見た事の無い踊りと衣装、聞いた事の無い音楽に(くぎ)付けになった。踊り子の動きの一つ一つを目で追いながら、どこの国の踊りだろう、と思っていると、「へぇ、ムガルの旅芸人か」という声が見物客の中から聞こえた。
 ムガルとは、この于闐から南、カラコルム山脈を越えた先にある半島一帯を占める帝国だ。フィーリアの話にあった玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が目指した仏教発祥(はっしょう)の地でもある。
 彼女達の興行を(なが)めている内に、蘭はふと思い付いた。「そうだ。あれをやるなら、捕吏が追って来たとしてもバレないんじゃないか? 目立つとは言ってもジャンル違うし、別人になりすませられるかも」
 思わず口に出していた。
 (たちま)ち、聞き付けた火球が横から口を出す。「青蛾(セイガ)の時はバレたじャねェか」
「あれは、化粧の仕方が胡蝶(コチョウ)とあんまり変わらなかったからな。今度は別人に見えるよう気をつけるよ」と蘭は片目を(つぶ)る。
「どうだかなァ」悪魔はふふん、と鼻を鳴らした。
 火球を引っ込ませ、蘭は踊りが終わるのを待って、彼らに話し掛けてみる。石畳(いしだたみ)の上に口を広げた革袋に投げ銭を入れると、少年がにっこりして礼を言った。眉が濃く、黒髪に栗色の瞳の愛らしい顔立ちをしている。蘭は彼に笑みを返してから、踊り子に言った。
「さっきの、ムガルの踊りなんだって?」
「そうさ。カタックって言うんだ」
 アイラインを引いた目元が少々きつい印象を与えるものの、踊り子はくっきりとした目鼻立ちの美人だった。
「あたしにも踊れるかな?」
「まぁ、練習次第じゃないかねぇ」
 彼女は素人(しろうと)には無理無理、という態度で両手を上げて見せた。しかし、蘭が鼻歌混じりに振り付けの一部分をその場で再現して見せたのには、流石(さすが)に驚いたようだった。
 少年が目を真ん丸に見開く。「カタックできるのか?!」
「いや。今日初めて見た」
「馬鹿言ってんじゃないよ。一回見ただけですぐ踊られたら、こっちはたまったもんじゃないっての」踊り子は困惑と不機嫌さの混じった口調で吐き捨てた。
「でも、いいすじしてる。どう見てもムガル人じゃないのに」と少年がじろじろと蘭を上から下まで眺め回した。
 踊り子が深呼吸し、蘭を半眼で見下ろす。「アンタ、踊り子だね?」
 蘭は「バレました?」と益々(ますます)にっこりしてみせた。
「匂いでわかるんだよ、同業者は」
 腕を組んで舌打ちした踊り子に、蘭は姿勢を正して向き直り、燕緋(エンヒ)に叩き込まれた礼儀作法に(のっと)って丁寧に申し出た。「貴女の舞に深い感銘(かんめい)を受けました。是非ともご指導頂きたいものです」
 少年がひっ、と息を吸い込んだ。「よりによって、このアムリタに弟子入り志願するなんて――ギャッ!」
 その後は言葉にならなかった。彼の頭の天辺(てっぺん)に、踊り子の拳が炸裂(さくれつ)したのだ。
 平然と拳を(さす)りつつ、彼女はまだ不機嫌そうに「名前は?」と蘭に(たず)ねる。
 蘭は笑顔のまま、はっきりと答えた。「ない」
「はぁ?」
「この踊りにふさわしい芸名は持ってない。新しく付けてくれません?」
「アンタねぇ………」
 踊り子は片眉を()り上げたが、旅芸人には本名を明かせぬ裏事情もつきものと飲み込んだのか、深入りはしなかった。
「ニーラ」とシタールを抱えた老人が初めて口を開いた。頭髪はすっかり抜け落ち、右目は(あお)で左目は紫だ。踊り子と同様、此方も妖力持ちに違いなかった。
「青い髪のお嬢さん。あんたを(ニーラ)と呼ぶことにしよう」
 踊り子は綺麗な顔を歪めて、鬱陶(うっとう)しそうに彼を見遣った。「じいさま、まだウチに入れるって決めた訳じゃ………。それに、もうちょっと名付けのセンスないのかねぇ?」
「ニーラ、か」と蘭は口の中で繰り返した。「ニーラ。うん、良い響き。気に入ったよ。ありがとう、えっと………」
 老人は彼女に皺くちゃな笑顔を向けた。「アグニだよ。じいさんでもじいさまとでも呼んどくれ」
「宜しく、ニーラ。オレはカハル。んで、そっちがアムリタ」少年が自分を指差してそう言ってから、その指を踊り子の方へ向けた。
 アムリタは納得していない様子だったが、やがて、観念したように強気な口調で宣言した。「言っとくけど、タダで教える気はないからね。さっさと覚えて、舞台立ってもらうか、使い物にならなきゃ、すぐ追い出すんだから」
 蘭は灰色の瞳を緩く細め、「お願いします、先生」と頭を下げた。
 踊るのが好きだ。踊りを禁じられるなんて、()えられない。例え、危険でも無鉄砲でも、踊る事だけは止めない。あたしの舞は、ただ見て綺麗なだけのものじゃないのだから。


 アムリタに借りた衣装やら装飾品やらを抱えて宿に帰った蘭は、そろり、そろり、と忍び足で廊下を進んだ。だが、部屋の前に差し掛かった途端(とたん)、扉が(すさ)まじい音と共に勝手に開いた。ぎょっとした彼女の瞳に映り込んだのは、背後に殺気をゆらゆらと立ち昇らせた仁王立(におうだ)ちのフィーリアだった。
 蘭の唇がひくっ、と引き()った。「たっ、ただいま、リアちゃん。良い月夜だね」
「何がリア“ちゃん”よ! 気色悪いわね! どこ行ってたのよ?! それは何?!」フィーリアは目尻(めじり)を吊り上げて一気にそれだけ言うと、蘭の腕にある荷物を指し示す。
「やだな〜。何でもないよ。ただの洗濯物だって」
「じゃあ、わたしが洗濯したげるわよ!」
「やめろ、離せよ〜!」
 騒ぎを聞き付けて、男性陣が隣の部屋から廊下に顔を出した時には、二人は蘭の新しい衣装を両側から激しく引っ張り合っていた。そんな状況にも関わらず、「お帰り」などと穏やかな事を言ったのは冬緑だけで、アロドとルミエルは呆れたり(なだ)めすかしたりしながら彼女達の取り合いを止めさせた。蘭の事はもう放って置こうと決めたのか柾だけは部屋から出て来ず、平和な高鼾(たかいびき)だけが奥から聞こえる。
 踊り子業を反対する仲間達を相手に、蘭は熱っぽく訴えた。「だから、これは絶対大丈夫だって。バレないようにやるから」
「オマエなー。そんなこと言って、すぐ見つかったらどうすんだ?」
「緑くんからも注意してやってよ!」
 がみがみ怒鳴る合間にフィーリアが声を掛けると、彼は黙って蘭の前に歩み寄り、小さな紙包みを差し出した。
 蘭は目をぱちくりさせて、「これは?」と包みを見つめた。
 開いてみると、中から金色の光が(あふ)れ出た。シャラ、と金属が(こす)れ合う音がする。アムリタが着けていたような、五連の細いブレスレットだった。
 彼女は息を()み、冬緑の顔を見上げる。「これ………!」
「屋台で売ってたんだー。似合うと思ってー」
 踊っておいで、と温かな緑の瞳がそう言っている。
 彼女の表情がぱっと華やいだ。「ありがとう、(トン)兄っ!」
 蘭は冬緑の腰にぎゅっと抱き付き、彼もにこにこと妹の頭を()でる。当人達には全くそんな気は無いのだろうが、その光景はどう見ても仲(むつ)まじい恋人達の抱擁(ほうよう)にしか見えなかった。
(なんつーか……兄妹って言うより、恋人同士にしか見えねーんだよな)
 アロドは頬をぽりぽり掻いて内心そう思ったし、フィーリアは「緑くんってば、ホント蘭に甘いんだから」と面白くなさそうに頬を(ふく)らませた。
 蘭は冬緑から身を離すと、不意に真面目な顔付きになる。「けど、そういう物はあたしより燕緋姉に贈るべきだと思うぞ? あたしだけもらったなんて知られたら、絶対、機嫌悪くするし」
 (もっと)もだと思った彼は、「ああ、そうだねー」と眉尻を下げて笑った。燕緋の事だ、そろそろお土産の一つも送っておかないと次に会った時に機嫌を(そこ)ねるに違いない。今度、残雪(ザンシェ)が姿を見せる時までに何か用意しておかないと、と本気で考える彼であった。


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