第二話 交錯する想い (1)
「あー!そんなに入れないでよ!」
「栄養しっかり取らねえと、でっかくなれねえぞ」
「その葉っぱ、好きじゃないんだ!変なきついニオイするし!」
一階の茶館に元気な声が響く。
民丰の朝。蘭達は皆揃って朝食を取ろうとしている所だった。メニューは泡糢という料理で、平たい堅焼きのナンを細かく千切って春雨入りの羊肉スープに浸した物だ。
泊まり客はカウンターで順番にナンにスープを注いだ器を受け取り、香菜や葱や塩漬け大蒜等の薬味を自分でトッピングするという風になっているのだが、前に並んでいた柾に勝手に入れられてしまい、ルミエルが怒っているのである。
器から零れ落ちんばかりに山盛りにされては、香菜嫌いの彼でなくとも怒るだろう。
しかし、「嫌いなモンは克服するためにあるんだ」と、柾は追加の手を緩めようとしない。
「わ、わかってるけど、だからってそんなに――」
抗議しようと大声を上げ掛けた彼を、柾が小突いた。「でかい声出すんじゃねえよ。他の客に迷惑だ」
ルミエルははっとして口を閉じ、恐る恐る周囲に目を走らせた。言われてみると、五月蝿いぞと言わんばかりの視線が突き刺さって来るような気もしないでもないような。
「も〜っ。またルッちゃん苛めて」と隣で見ていたフィーリアが唇を尖らせた。
うぐぐっ、と行き詰まるルミエルの恨みがましい視線も、咎めるフィーリアの言葉も置き去りに、彼はさっさとテーブルに向かってしまった。
其処へ、カウンターで受け取ったばかりのスープの器を持った冬緑がやって来て、今にも香菜の雪崩が起きそうな自分の器をげんなりと見つめるルミエルに言った。
「おれのと取り替えようかー?」
ルミエルはぱっと顔を上げ、目を丸くした。「………いいの?」
「うん。香菜好きだからさー」
彼は優しい笑みで身を屈め、ルミエルと器を交換した。
二人の性格の違いが浮き彫りになった瞬間だった。
「大人な対応ねぇ……」
「好きだからって、あんなに食えるのか……?」
フィーリアが惚れ惚れと言い、蘭がうげぇという顔付きで香菜がたんと積み上げられた器を見遣る。
当の柾は涼しい顔でテーブルに着き、アロドと一緒に何日も飲まず食わずの野良犬の如くがつがつと先に食べ始めていた。
朝食を取りながら、六人はこれからの予定を話し合った。
アロドの斜め向かいに座ったフィーリアが彼に言った。「アルバイトのことだけど、ここのカフェで雇ってもらえないか聞いてみない?資金稼ぎついでにお客さんから情報聞けて、一石二鳥だと思うんだけど」
「お、それいいな。働くとこ探すてまもはぶけるし」
笑顔でそう答えてから、彼はある問題に気付いて「でもさー」と口を濁す。「オレって働かせてもらえんのかな?ほら、経営者が妖力持ちなら問題なく雇ってくれるけど、ここは見たところそうじゃなさそうだし………」
「大丈夫よ。店員さん達、アンタに対しても感じよかったじゃない。見込みはあるわ」と彼女は自信無さ気なアロドに片目を瞑って請け合う。
彼は朱の髪の毛を弄くりつつ、「んー……」と空返事して、思い出したように食事の続きに取り掛かった。
「そっか、ここってニヤ遺跡の調査隊も泊まってるんだっけ」
蘭はスプーンを銜え、他の席をぐるりと見渡して宿泊客の顔触れを観察した。良く見ると、のんびり旅行を楽しんでいる様子の人よりも、遺跡調査関係者らしきグループの数が目立つ。服装や動作からして旅慣れているような、確固たる目的と信念を持って来たような堂々とした気風が、普通の旅行者とは少し違っていた。
頷いたアロドが、急に声を潜める。「ニヤ遺跡はそいつらに譲るとしてさ、もし遺跡の近くに何か出てきそうでまだ手つかずの場所があるとしたら――」
「何が何でも聞き出して、わたし達で発掘するのよ………!トレジャーハンターだってことは内緒にして」と続きをフィーリアが引き取った。
「………それって」
「………やり口が卑怯臭くないか?」
白けた目を向けるルミエルと蘭だったが、「なーに言ってんだ」とアロドが得意気に語り出す。話す内に、語気にも握った拳にも力が入る。
「いいか、トレジャーハンターってのは弱肉強食の世界なんだ。いかにライバルをしりぞけ、いかに早く、いかに値打ちモンを発見できるかで勝負が決まる。どんな手を使おうとも、先に掘り当てた者が勝つ!セコいだ何だ言ったって、そんな手にハメられるようじゃこの業界で生き残れないぜ!」
彼の拳の中でスプーンがグニャリとへし折れた。熱弁を振うのに夢中で、妖力を制御出来なかったらしい。
「この肉美味しいな、冬兄?」
「美味しいねー」
へー、と納得して話に聞き入るルミエルと対照的に、蘭は黙々と食べながら平淡な口調で隣に話し掛けている。
「………もしもーし?オレの話聞いてっか?」アロドが寂しそうに声を掛ける。
「まぁまぁ。宝探しのロマンは、わかる人にしかわからないわよ」
フィーリアが苦笑して宥め、次に頬を淡い薔薇色に染めて冬緑に訊いた。「緑くんは?この後どうするの?」
「おれ?これ食べたら出かけてくるよー」と彼はにこやかに答える。
この町で逸れた仲間と合流する手筈になっているというが、当てもないのに一人で探すのは大変だろうと考えた蘭が「探すの手伝おうか?」と訊く。
彼は首を振った。「何となく目星はついてるから。それに、訳あり連中だしねー。蘭は関わり合わない方がいいよー」と冗談めかして言う。
「あ、そう。うん、よくわかんないけど凄いそんな感じする………」
きっと悪い人達ではないのだろうが、冬兄と付き合えるなら一風変わった人種の集まりだとしても驚きはしないな、と彼女は想像した。そこまで言われると、ちょっと会ってみたい気もするけど。
「リアとアルはバイトで、冬兄は人探しだろ」と蘭は今度はルミエルと柾の方を向いた。「あたしらはどうする?そこら辺見て回るか?」
そうだね、とルミエルが笑みを見せた。
「働き口も探さなきゃなんねえしな」と何時の間にか四つの器を空にして、スプーンを置いていた柾が言った。
彼の求める働き口が何であるかを察したアロドが顔を輝かせ、透かさず言った。「いい飲み屋見つけてきてくれよ」
「おう」と柾が焦げ茶の瞳をキラリと光らせる。
こういう事に関しては、呆れる位気の合う二人であった。
「この飲んだくれ共め………!」蘭とフィーリアが同時に低い声で呟く。
アロドが何で怒るんだ、と片眉を跳ね上げて「酒場なら、蘭だって縁あるだろ?踊る場所確保できるしさ」等と言う。
蘭は「そうなんだけど………」と口籠った。「外の方が好きなんだ。建物の中より。解放感あって――」
届かせやすいし、な。
最後に唇を殆ど動かさずに小さく付け加えた言葉を、ルミエルの耳だけが聞き取った。
彼は僅かに小首を傾げる。
(届かせる……神力のことか)
すぐにそう悟る。けれど、神力を何に届かせようとしているのかまでは導き出せなかった。
楼蘭で見た蘭の舞。蘭の力――悪魔を消滅させる力。
もしかすると、彼女は舞う度に神力を使っているのだろうか。でも、何の為に?
(前に聞かせてもらった、“アレ”をするためかな………火球を――)
そこで思考を切り、心を閉じた。今は蘭の中で大人しくしているにしろ、易々と人間の心を見透かせる悪魔に何時なんどきこれを読み取られるかわからない。彼女が密かに胸に秘めた計画を洩らしてしまっては、実現が難しくなるかもしれないのだ。
ルミエルが一人そんな事を考えている間にも、会話は進んでいた。
冬緑が意外そうに眉を上げた。「酒場で踊ってるって?まさか、一人で引き受けてたりしないだろうね?誰か付いてるならともかく、夜の公演は止めた方がいいよ。酔っ払いに絡まれたりして危ないからねー」
「平気だって。飛刀は常に携帯してるし、火球もついてるし」
「それでも、危ないことに変わりないんだよー?わかってるだろうけどさ。帰りだって遅くなるだろう?夜道とか――」
「大丈夫、大丈夫。蝃蝀の女をなめんなよ」
うざったそうに手をひらひら振って適当にあしらい、蘭は話を逸らす。「市場の場所、チェックしてくるよ」
「お願いね」フィーリアが彼女ににこっとして言った。
何を言っても馬耳東風の妹に、冬緑はやれやれと深緑の目を細めるのだった。
朝食を終えた後、店主に交渉しに行くというアロドとフィーリアの二人と別れ、四人は一旦部屋のある階に戻った。十分後に下で、と約束して、それぞれ出掛ける支度を整えに部屋に入る。
柾が男性陣の部屋の鍵を開けると、中から砲弾が飛び出して来た。
「っ?!」
反射的に身を翻して避ける。
「わ?!」とルミエルも叫んだ。
砲弾は廊下へ飛び出し、冬緑の元に一直線に飛んで行く。ギャアギャア騒ぎ立てながら冬緑の頭を翼で打っては鋭い爪で蹴りまくるそれは、立派な雄の隼だった。
「痛たたっ!止めるんだ残雪。痛いってー」
苦い笑いを浮かべて頭を庇う彼に、残雪は主人の典馭に命じられたのか執拗に攻撃を続ける。
「何の騒ぎだ?」
女性陣の部屋に入り掛けた蘭が、ひょこっと顔を覗かせた。事態を察知すると、自業自得だとばかりに腕を組み、眉を顰めて残雪に声を掛ける。
「顔は止めてやれよ。顔に傷がついたら、声しか良いとこ残らないからな」
「酷いなー」残雪の攻撃から身を守りながら、余りの言われように冬緑は苦笑した。
柾は部屋の中を覗いて、「窓から入り込んだのか。そういや、開けっ放しだったな」と冷静に侵入経路を確認する。奇声を上げて大暴れする隼が怖いのか、ルミエルは彼の陰から半分だけ顔を出して様子を窺っていた。
冬緑に懇願されて仕方無く蘭が宥め、ようやく興奮が収まった残雪を中へ入れて椅子の背凭れに止まらせる事が出来た。足に括り付けられた紙の束を解くと、それは冬緑宛ての手紙だった。
広げて黙読し始めた彼は、ふふっ、と口元を綻ばせる。
「団長からか?何て書いてあるんだ?」
「あー………二年分溜まりに溜まった鬱憤と愚痴と小言の羅列ってとこだね。団長、凄いなー。ここにいないのに目の前で取り調べ受けてる気分になるよ。凄い文才だねー」
遠くを見るようにして、超絶爽やかな笑顔でそう語る彼に、反省の色は一欠片も見られない。
「それだけ怒ってるってことだろうが」蘭は溜め息混じりに言ってやった。
壁に背を預けて手紙を流し読みしていた彼だったが、最後の一文に辿り着いた時、目が止まる。表情には微笑みを残したまま、目から笑いが消えた。
「どうかしたか?」
「………いいや」
やや不思議そうに見上げて来た蘭に、何でもないよと答え、彼は手紙を折り畳んでベストの内ポケットに仕舞った。
今度こそ返事は貰って帰るぞという風に、椅子に止まった残雪が鋭く鳴いた。冬緑を一睨みして、開いた窓から飛び立つ。
ルミエルがぱたぱたと窓に駆け寄った。「あーあ。行っちゃったよ」
「いいんだ」と蘭が言った。「返事預かるまではこの近くにいるからな。また催促しに来るだろ」
冬緑はまだ苦笑しながら、呑気に言った。「流石に、これに返事出さないのはマズいよねー。上手い言い訳考えておかなきゃなー」
数分後、外に出た彼らは宿の前で別れる事にした。
「昼には戻るからな〜」と蘭とルミエルが手を振ると、「おれもその頃には一回戻って来るよー」と冬緑も返した。
冬緑は暫し佇んで三人を見送った。三人の姿が小さくなると、彼は徐に手紙を取り出した。重なった紙が手の中でカサッ、と音を立てる。広げて眺め、最後の一行をゆっくり読み返す。
「………参ったなー」
彼は独り言ちて、頭を掻いた。微苦笑で手紙をポケットに戻し、蘭達と反対の道へ歩き出す。
一方その頃、茶館で雇ってくれるよう交渉中のアロドとフィーリアは、まだ若い店主の男に思いがけない台詞を投げ付けられていた。
「君はいいとして……そっちのお兄さんは妖力持ちでしょ?ちゃんと仕事できんの?面倒ごと起こされんのはごめんだからね」
フィーリアは偏見だとカチンとした。妖力持ちのアロドに対しても愛想が良いから大丈夫だろうと踏んだのに、客だったから優しくしていただけらしい。近い関係に入るとなると、急に態度を覆す。似たような目には何度も遭っていてこれが初めてではないが、不快である事に変わりはない。
鼻の天辺に皺を寄せ、軽蔑を隠そうともしないこの目付きは、彼女の目には吐き気がする程醜く映った。
ところが、アロドは違った。
「まかせといてください。ちゃーんとやりますんで」妙に明るい声、底抜けに人懐っこい笑顔で彼は答えた。
店主は不信そうな表情を崩さなかったが、承諾してくれた。「んじゃ、人手足りないから早速入って」
そう言うと、彼は先に立って歩き出す。
「はーい」とアロドは元気良く返事をする。
「ちょっと、アル――」
「何すんのかな?皿洗いだったら、割らねーように気をつけねーとな」
「ねぇ。やっぱり他を当たらない?」
「いいっていいって。気にすんな。門前払いされないだけマシだぜ」
「でも………!」
真剣に食い下がるフィーリアを、アロドはニッと笑って振り返る。「オレは全然気にしてねーよ。こん位、いつものことだからさ」
その瞬間、フィーリアの脳が凍り付いた。何処か暗い深淵に突き落とされた気分に襲われる。
奥に案内する店主の後に付いて行ってしまう彼の背中が、硝子を通した向こう側にあるような気がした。あの、何時にも増した明るさが、逆に胸を抉る。
(バカね………本っ当、バカなんだから…………)
悔しいと思わないの?こんなの、正しくないよ。
能天気で鈍感なフリして、また傷を隠して笑うの?平気なフリして笑わないで。気にしてないんじゃなくて、気にしないようにするしかないだけなんでしょ?慣れただなんて言わないで。こっちが泣きたくなっちゃうじゃない。
「……よくないよ。全然、よくなんかないよ………」
彼女は下を向き、小さな呟きを押し殺した。