第三話 砂漠へ (4)


「いやだ、行かない!ここで待ってる」
「ルッちゃんたら………」
 とんでもないとばかりに蒼白な顔で言い張るルミエルを、フィーリアは眉をハの字にして(なだ)(すか)していた。無法地帯の砂漠にまだ子供のルミエルを一人で置いてはいけない、と何度も言って聞かせたが、彼は(がん)として楼蘭(ロウラン)に行くのを拒んだ。普段は素直な性格であるのに、どうして聞きわけが無いのかとフィーリアはほとほと困り果てていた。
「幽霊なんか、いやしねーよ。ただの噂だって。こんなとこに一人でいる方が危ねーだろ?ほら、盗賊とか匈奴(キョウド)とかくるかもしれねーし」アロドが言った。
 それでもルミエルは目に涙を溜めて、いやいやと激しく首を振った。フィーリアがふぅ、と諦めたように息を()いた。「しょうがないわね。(まさき)、残ってくれる?」
「あのなあ。いい加減、俺をベビーシッター扱いするの()めろ」
「どうせ、楼蘭にはアンタが探してる(もの)はないでしょ?」
「………そうだろうけどよ」柾はげんなりした。この何も無い、徒広(だだっぴろ)い所でどうやって時間を潰せというのか。自分の求めている(もの)は無いとわかっていても、遺跡調査を手伝う方がまだマシだ。
 すると、それまで黙って傍観していた(ラン)が口を開いた。「そしたらさ、あたしがルーと残るよ」
「えっ?!けど、それじゃ………」あまり変わらないじゃないか、とアロドは面喰って頬を掻いた。子供と若い女――しかも蘭を残していくなんて、不安が増すだけだ。
「いいって。遺跡に興味ないって言っただろ?二人で留守番してるよ」蘭はルミエルに(やわ)らいだ目を向けた。ルミエルは驚きと感謝の入り混じった表情で、その視線を受け止めた。
「でも………!」とフィーリアが反論しかけたが、柾が(さえぎ)って言う。「いいんじゃねえの。それで」
「なっ……オマエ、少しは気づかうとか心配するとかしろよ!」
 呆れた口調のアロドに、柾は意味有り気な笑いを浮かべて親指をくいっと蘭に向けた。「こいつなら心配ねえよ。一筋縄じゃいかねえ女だから」
「そりゃ、どうも」蘭は鼻に抜ける笑いを()らし、皮肉混じりに言った。
 蘭が酒場で捕吏を二人も打ち負かした程戦闘能力が高いなど、実際に見なければ誰が信じるだろう。彼女は小さく、華奢(きゃしゃ)で、どう見ても一筋縄ではいかない女には見えない。三人は意味を量り兼ね、揃って同じ方向に首を(かし)げた。
 話は(まと)まった、と柾は先に歩き出した。アロドは慌てて、柾と蘭を交互に見比べた。「お、おい!………って、本当にいいのか?これで」
「そうよ、もし何かあったら………」
 蘭は、気が進まないフィーリアに「何かあってたまるか」と明るく笑い飛ばし、アロドの背中を押した。「不要紧〈大丈夫〉。さっさと行って来い。時間勿体ねぇぞ」
 二人はまだ納得のいかない様子だったが、蘭とルミエルに見送られ、どんどん遠くなる柾の後を追い掛けて行った。

「あ〜つ〜い〜。なんて、言っても仕方ないんだけどな」蘭は苦笑し、汗を(ぬぐ)った。
 太陽は容赦無く照り付け、気温はぐんぐん上昇する。それでも、車の陰に座っているからまだ涼しい方なのかもしれない。こんな灼熱地獄で遺跡調査なんてトレジャーハンター達の気が知れない、と蘭は思う。
 ルミエルはあまりの暑さにぼぅっとしていた。顔が火照(ほて)り、栗色の前髪が汗で額に張り付いている。
「ほっぺたが赤いぞ。ほら」と蘭は持っていた水のボトルを、ルミエルの頬にくっつけた。冷え冷えだったボトルもクーラーボックスから出すとすぐに大量の汗を掻き、滴がポタポタと砂地に落ちた。渇きを訴える砂が、我先にと滴を吸収していく。
 ボトルを額にくっつけられた時、ルミエルは昨夜の金縛りが去った後の温かな手を思い出した。
「昨日、ねてた時にぼくのところにきてくれた?」
「さぁ、どうだったかな」蘭は曖昧(あいまい)な返事をした。
 ルミエルは根気強く訊いた。「蘭でしょ?“あれ”を追い払ってくれたのは」
 彼女はん〜、と考えるように(あご)を持ち上げ、「結果的にはそうかも」と答えた。
 あの時、蘭は歌っていた。そうする事で何かをしようとしていたのか。それはわからないままだが、あの得体の知れないものを追い払える力はたった一つしかない。
 ルミエルは息を吸い込んだ。「……神力が使えるんだね?」
「お前もな」蘭はさらりと言った。
「どうしてわかるの?」
「“あれ”は、お前の力に()かれて出て来たから。神力を持つ者は悪魔や死霊が見えたり感じたりする分、“そっちの世界”に引っ張られやすい。護身の作法は習ってないのか?」
 ルミエルは黙り込んだ。(ひざ)を抱えて(うつむ)き、消え入りそうに小さい声で言う。「習ったよ。最低限の事は………」
 そして、覚悟を決め、顔を上げた。今度は、静かだがはっきりした口調で言った。「いや、習ったはずだったんだ」


 あれは、五歳になって間もないころだったと思う。母はぼくの手を引いて、ゴシック調のレリーフが刻まれた大きな建物の扉をたたいた。中から出てきたのは白いひげをたくわえ、柔和に微笑む老紳士だった。足まで届く黒のローブを着て、えり元を銀のブローチでとめている。のちに師匠と呼ぶことになる、ラファエルだ。
 彼はぼくらを見るなり、全てを理解したようだった。
「これはこれは。神力の強いお子さんですな」
 ラファエルは母に、おだやかだが拒絶を許さぬ声でこう言った。「組織(うち)で預からせていただけますかな?」
 母は何もかも承知の上で、ぼくを連れてきたようだった。もう幼い息子を自分の手で育てられず、年に数回しか会えなくなることを。だが、それがぼくにとって最善の方法であることを。母はそっと、ぼくをラファエルの腕に押しつけた。小さく微笑んでぼくの頭をなでながら、薄紅の唇をふるわせていたことを、今でも覚えている。
 それからというもの、ぼくはラファエルのもとで修業を積んだ。悪魔から身を守る護身作法を習い、悪魔から受けた傷や病気を治す作法、そして悪魔を(はら)う作法を習った。神力があるからといって、すぐに身につくような生やさしいものではなかったが、優しい兄弟子たちに囲まれてゆっくり確実に習得していった。
 そいつに出会ったのは、二年前のある日のことだ。悪魔が出たという知らせを受け、ラファエルと駆けつけた。そいつは黒い煙でできていて、血のように真っ赤な目玉の醜い小人の姿をしていた。ラファエルがすぐに祓い、取りつかれた男の人は正気に戻った。だが、そいつは消える前にあざ笑い、ぼくとラファエルを見下ろして言った。
「俺様は何度でもお前らの前に現れる。何度でもな」
 その言葉通り、悪魔は別の人間に取りついた。祓うとまた別の人間に取りついた。何度も何度も、そいつは現れた。名もなき悪魔はいつしか仲間内で有名になり、誰もが苦虫をかみつぶしたような表情でこう呼ぶようになった――メフィスト、と。
「はぁっ、はぁっ……はぁっ………」
 黒のローブをはためかせ、ぼくはラファエルの部屋に駆けこんだ。
「………はぁ、はぁ……っ。師……っ、ゲホッ、ししょ……ゲホッ、ゲホッ!」息が切れたまましゃべろうとして、思いきりむせた。
 本を読んでいたラファエルが眼鏡を外し、やれやれとこっちを見た。「落ち着きなさい、ルミエル。どうしたんだね?怖い顔をして」
「師匠……あいつが、あいつがまた出たんです」
 ラファエルははて、と頭をかたむけ、のんびりと言った。「あいつとは?ちゃんと与えられた名前で呼びなさい」
「メフィストですよ!」ぼくは叫ぶように言った。名前なんかどうでもいいじゃないか、と言いたいのをぐっとこらえた。「今度は赤ん坊に……もう祓いましたけど、あざが!あいつ、あの子の顔にあざを!しかも全然……消えなくて………」
 背後でドアが開いた。若い男――兄弟子のゲイブが入ってきた。
「ゲイブさん………!」
 彼はぼくに軽くうなずき、ラファエルに報告する。「メフィストが取り()いた赤子の(あざ)は、治癒しました。完全にではありませんが……痕は一生、残るでしょう」
 ゲイブの声には悔しさがにじんでいた。ぼくは奥歯をぎりり、とかみしめ、どんっとこぶしで机をたたいた。
「どうしてなんですか?!どうして、あいつは何度も何度も!」
「落ち着きなさい」ラファエルが静かに言った。
「祓ってもまた次の人間に取りつくだけ。これじゃ、いたちごっこだ!あいつを消し去らないかぎり!」ぼくはラファエルに食い下がった。「消滅させる方法はないんですか?悪魔を消滅させる方法は?!」
「その話は何度もしただろう?悪魔を消滅させることなど出来ない」ラファエルはどこか疲れたように言った。「形なきものを消し去ろうなどというのは、人間には出来ないのだよ。命を消すことは出来ても、魂を消すことは出来ないだろう?悪魔もそれと同じだ」
「それじゃ………それじゃ、師匠は今の状況をこのまま続けるほかないと、そうおっしゃるんですか?」半眼でラファエルを見上げ、ぼくは怒りを押し殺して言った。
 彼は長々と息を吐き出し、沈黙した。
「それしかないだろう」というのが、師匠の答えだった。「悪魔に憑かれた者を順番に助けてやる。それが我らの仕事。そのために我らがいる」
 これが、師匠と呼び、父のようにしたってきた男が出した答えだった。ぼくは血が出るのもかまわず、唇をきつくかんだ。
「ルミエル………」とぼくの肩にゲイブが手をのせる。その手を振り払い、廊下に走り出た。
「ルミエル?ルミエル!!」
 追いかけてくる声にも振り返らず、走り続けた。組織の紋章が入ったブローチを引きちぎり、黒のローブを乱暴に脱ぎ捨てた。ローブとブローチを外す――それは、ぼくの居場所との決別を表す。
「待ちなさい、ルミエル。どこに行くつもりだ?」
 荷物をまとめ、外に出ようとしたぼくを呼びとめたのはラファエルだった。
「悪魔を消滅させる方法がこの国にないなら、ほかの国を探します。必ずどこかに方法はある。ぼくは、あきらめたくありません」
「ルミエル………」
「ぼくは!」
 この言葉が、師匠を傷つけるとわかっていた。わかっていたのに、とめられなかった。「これが限界だなんて決めつけたくないっ!これ以上は無理ですから我慢してくださいって、組織(ぼくたち)を頼りにしてくれてる人たちに言って回るんですか?! そんなの……そんな言いわけ、誰が納得するっていうんですか?!組織(ぼくたち)にできないなら、誰が救えるっていうんですかっ?!」
 涙がぼろぼろこぼれ落ちた。
 ラファエルは絶句した。ナイフで心臓をえぐられたように目をむき、悲痛な面持ちでぼくを見つめる。とても見ていられなかった。師匠に、こんな顔をさせるつもりはなかったのに。
 こぼれ続ける涙をぬぐうことも忘れ、彼から顔をそむけた。そのまま走り出す。
「待ちなさい!世界はお前が考えているよりもずっと広いぞ。ルミエル!!」
 制止の声を振り切り、ぼくは走った。師匠や兄弟子たちを残し、両親に何も告げずに。


「でも、師匠の言う通りだった。世界は広い。ぼくが考えてたよりもずっと」
 ルミエルは深い眼差しを足元に落とし、ブーツの先で砂を穿(ほじく)った。蘭は静かに聞き耳を立てる。
「そんなかんたんに方法が見つかるわけないとは思ってた。師匠が知らないくらいだもん、近くの国を探したところでみつかるわけない。だけど………アロドたちの仲間に入れてもらって、こんなに遠いところまできて………聖地にも行ったし、神職者にもきいたし、本も調べた。 でも、まだ見つからない。誰も知らないって言うんだ。悪魔を消滅させる方法なんて。しかも……なんでだろう?覚えた作法がだんだん効かなくなってくるし」
 昨晩のように。ルミエルは自嘲するように表情を(ゆが)めた。あどけなさの残る顔立ちなのに、苦悩の色が濃い。
「お前が所属(いた)っていう組織の名前は?」蘭が訊いた。
「“黒き導き手(シュヴァルツ・フューラー)”」
「“黒き導き手(シュヴァルツ・フューラー)”?」思わず聞き返した。その名は聞いた事がある。西欧(ヨーロッパ)にあるという、悪魔に対抗する為に神力を持つ者が結束して創った組織。
「じゃあ、師匠ってまさか――」
 続けようとした言葉は喉の奥で凍り付いた。低く、ぞっとするような声が、ルミエルの耳にもはっきり届いた。
悪魔祓い(エクソシスト)、だな?」


     
web拍手 by FC2    
inserted by FC2 system