第四話 宝探し (5)
フィーリアの言う通り、それは如何にも死体が入っていそうな棺だった。よくよく部屋中に目を凝らすと、四本ある柱は棺へ導くように両側に二本ずつ並んでいる。どうやら此処は只の隠し部屋では無く、墓室のようだ。
アロドは期待と感動の眼差しを棺に注ぐ。「だってよ、もしかしたら王族のモンかもしれねーぜ?!この壁画、それに棺桶の作りだって立派じゃねーか?」
「王族の墓の入り口が、井戸の中にあると思うか?」
呆れた口調で柾に言われても、アロドは怯まなかった。「他国軍や墓ドロボーから守るためじゃねーの?楼蘭は、桃と匈奴に奪い合いをくり返されていたんだろ?」
「え、ええ………」フィーリアが頷いた。
「この部屋は仏塔の真下にあるから、もともとは塔から通じる入り口があった。けど、他国に侵入されても暴かれねーように本物の入り口をふさぎ、わかりずらいところに入り口を作り直したんだ。ほれ、あのあたりなんか怪しいぜ」
そう言ってアロドが光を当てたのは、棺の丁度反対側の壁だった。全面に描かれている壁画が、真ん中の一部分だけ長方形に切り取られたように何も描かれていない。人一人が立って出入り出来そうな大きさで、色も周りの壁と微妙に違っている。隣の部屋、もしくは彼の言うように本物の入り口を後から埋めたようにも見える。
「なるほど。一理あるな」と納得する柾。
「だろ?」アロドは得意そうにニカッと笑った。
有名なトレジャーハンターであるという父親から学んだのであろう彼の発掘の知恵だけは、信憑性がある。
「これが楼蘭王の墓かもしれないって言うの?」再び懐中電灯を向けられた棺に目を遣り、フィーリアが言う。
蘭と、彼女に支えられて何とか立っているルミエルは、渋い顔付きで棺を見つめていた。二人の目には、蓋の隙間から洩れ出して薄ら立ち昇る邪気が映っていた。
蘭の耳元で、火球の恍惚したような声がした。「なかなか心地良い場所だなァ」
「お前にとってはそうだろうよ」
悪魔の火球は、邪気や人間の負の感情で満たされた場所を好む。死の気配が漂うこの墓室は、末期の人間が残した強大な悔いや恐れの想いが蔓延っているのだ。
「あの棺、邪気がたっぷり詰まってるぜェ?地上に置いて来た悪魔にくれてやりャいい。そんなに口説き落としてェンならな」と火球がべたつく声で囁いた。
それは蘭もちらっと考えた事ではあったが、あれでは量が多過ぎる。悪魔の成長に足りない分を補うどころか、力が付き過ぎて最終段階まで成長させてしまうかもしれない。そうなると火球をもう一人相手にするようなもので、更に扱い辛くなる。
しかし、何の道もうすぐルミエルの結界が解ける。自由になった悪魔は、一目散に此処に来るだろう。この狭い空間で暴れられたら、逃げる場所も隠れる場所も無い。
(火球の邪気をやれないなら、あれを使うしかないか。成長させすぎるかもしれないけど、何とかやってみる。こんな所で暴れられても堪んないし)
沈黙に蘭の決意を感じ取ったのか、火球の声音がふと疑わし気なものに変わった。「封印しようとは思わねェのか?お前なら、半永久的に解けねェような結界を張れるはずだ。その餓鬼と違って」と火球はルミエルを横目で見て言った。「その方が簡単だろうが。なのに、危険を冒してまでわざわざ話を付ける?意図が読めねェな」
「ふ〜ん。心配してくれてんのか?」蘭は皮肉っぽく笑んだ。
火球は、馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻を鳴らす。「そんな訳あるか。一体、何企んでやがるッて聞いてンだよ」
「何も」と蘭は言った。「何も企んじゃいないし、それに………買い被りすぎだと思うけど?」
そう言ってにっこりする彼女を抉るように睨み、火球は低く唸った。
(買い被りなモンか。出来ねェはずがねェ。こいつは、あの女の末裔なんだからな。俺を長年、封印し続けたあの女の)
火球は深い憎悪の念に駆られ、蘭の体内で黒い炎の如く怒りに震えた。
(何で、あの悪魔を封印しねェ?あの女のように――あの女が昔、俺を封印したように、あれも封印すりャいいものを………何を考えていやがるンだ?)
蘭の考えが読めず、火球は苛立った。人間の思考は悪魔には筒抜けなのだが、蘭は違った。蘭の血を貰った火球は、彼女の身体を二人で共有している事になる。それならば、自分の思考は火球に読まれるのに、火球の思考を自分は読めないのは変だ、と蘭が契約の時に言い出したのだ。一つの身体を二人で共有するなら、思考も共有すべき――互いに隠し事は無しにしよう、と。
驚き焦ったのは火球の方だった。それでは蘭を陥れようとするにも、計画が筒抜けになってしまう。冗談じゃねェ、と思った彼は渋々、蘭の思考は読めないようにする事を誓った。
その契約をした時の事は、思い出しただけで腸が煮えくり返る。あんな事さえなければ、今の蘭の考えが手に取るようにわかるのにと思うと、二重に悔しいのであった。
一方、蘭は火球に伝えなかった答えを、心の中で言葉にした。
(それに………封印するだけじゃ、何も変わらないからだ。臭い物に蓋したって、根本的な解決にはならない。あたしは――)
蘭は、拳をぎゅっと握り締めて思った。
(あたしは、同じ過ちを繰り返さないために生かされたんだから)
そして彼女はすっと頭を上げ、棺を見据えた。その前にはすでにアロドが立っていて、開けたくて堪らないように蓋の上に手を載せていた。
「え!ちょっと待ってよ……それ、開けたりしない……よね?」ルミエルが蘭の腕に掴まったまま、消え入りそうな声で言った。
アロドは、何でそんな事訊くんだ、と言うようにきょとんとする。「開けるに決まってんだろ。もし王族のモンなら、お宝も一緒に埋葬されてるぜ、きっと」
そう言った途端、ルミエルとフィーリアは示し合わせていたように同時に突進し、彼を両側からぐいぐい引っ張って棺から遠ざけた。
「ダメッ!それは、あ、開けちゃ………死者への冒涜よ!」
フィーリアが言うと、ルミエルも反対側でうんうんと激しく首を縦に振った。
蘭は呆れた。「今更、何だよ。お前ら、墓荒らしなんだろ?」
「棺桶の中まであさりたくないわよっ!」フィーリアが噛み付くように言った。
「んじゃ、見なきゃいいだろ。ひっつくなっての、服がのびるからっ」と抵抗するアロドの両腕を、二人はがっちりしがみ付いて離さない。
妨害されて動けない彼の代わりに、蘭と柾が棺に近付いた。
棺を前にして、蘭が急に思い付いたように言った。「こういう時のお約束な展開ってさ、蓋を開けたら財宝に埋もれた死体があったりするよな?」
柾は、ああ、と短く返事をした。一瞬、彼の目が悪戯っぽく光ったように見えた。
蘭が続ける。「宝を抜き取ろうとすると、いきなり虚ろな瞼がかっと開き――」
「骨をギシギシ軋ませながら起き上がって、その手を掴み………」と言いながら柾は懐中電灯を上向け、顎の下に当てて振り向いた。薄く笑う彼の顔が生首のように不気味に闇の中に浮かび上がり、アロド達三人はびくっと身を引いた。
「朽ちかけた歯をカチカチ鳴らして、こう言う。『それを置いてけー、置いてけー……』」
柾は、空いた方の腕をアロド達へ伸ばし、不自然な位ゆっくりした動作で手招きした。
「ま、柾………?」フィーリアの口から呆然とした声が洩れた。
(こいつ、やるなぁ)
蘭は面白がって、彼にもう少し喋らせてみたくなった。
「その干からびた腕を振りほどいて、逃げようとすると――?」と続きを促してみる。
「そいつは奪われた宝を取り返そうと棺から這い出し、追いかけて来る…………階段を上がりかけた所で、後ろから服の端を引っ張られ――」
ルミエルがひうっ、と引き攣った声を出した。
「しかもその時……運の悪いことに、二つしかない懐中電灯が両方とも電池切れに――」
カチッ、と柾の手中で明かりが消えた。フィーリアとルミエルが小さく叫ぶ。一段階暗くなった墓室で、アロドの懐中電灯が照らす棺だけがぼうっ、と浮かび上がっていた。
「たちの悪い連想ゲームはやめてよ〜!」とフィーリアが涙声で叫んだ。
ルミエルの方は薄明かりでもわかる程、蒼白な顔で失神寸前、抗議の声すら上げられない。
柾は意地悪く笑った。「ノリ悪い野郎だな。そっちのも消せよ」とアロドに言うと、彼は明かりを点け直した。
(アイツ、楽しそうだな……怪談好きとは知らなかったぜ。しかも話し方、上手くねーか?こっちまで鳥肌立っちまった)
アロドは腕を擦りながら、意外に思った。柾は無口では無いが、かと言って饒舌でも無い。そんな彼が、どんどん想像を膨らませて怪談を語り出すとは思いも寄らなかった。
すっかり縮み上がってしまった二人に、蘭は笑って言う。「そんなの映画じゃあるまいし、現実に起こる訳ないって。心配すんなよ」
「でもでも!開けないで!すごい邪気が入ってるんだよ?!」
蘭も気付いているだろうにどうして開けようとするのか、ルミエルはやきもきした。更に説得しようとした彼は、突然、別の恐怖に襲われた。
地上の結界内で暴れている悪魔の右腕が、ついに結界を突き抜けた。
術者のルミエルはすぐに感知し、アロドにしがみ付いたまま硬直した。寸分違わず蘭も感知し、もう時間が無いと悟った。
「よしっ、開けよっか」と彼女は取り分け明るく言った。
「おう」
蘭と柾が棺に向き直った。二人の作り話を聞かされた後でいよいよ開けたくない思いが募るフィーリアとルミエルは、必死にアロドの背中に爪を立ててしがみ付き、「開けないで開けないで開けないで」と訴える。アロドはうんざり顔で、振り解くのを諦めていた。
蘭は、棺の蓋に指を掛けた。「おっ、重………っ」
「貸せ」
蘭が場所を譲ると柾は懐中電灯を彼女に預け、蓋を持ち上げた。
古代の大気と死者の寝息、そして濃い霧のような邪気が床に溢れ出した。
中を見た二人は、眉間に皺を寄せた。
「これは…………」
棺は大人用の大きさだ。しかし、中に収められていたのは幼い子供の木乃伊だった。殆ど色褪せずに残っている上質な絹織の衣装を着せられ、金箔を貼った仮面を付けている。豪華な文様を織り込んだ鮮やかな布や美しい玉が、隙間を埋めるように敷き詰められていた。
「何だ?何があった?」両側から押さえ付ける二人を引き摺るようにして近付いたアロドが、覗き込む。
「ミイラがあった。子供の」と蘭が答える。
「子供?」恐々訊き返したフィーリアは、アロドの陰からそうっと覗き見た。
全員が棺に見入っていると、急にルミエルの身体に雷に打たれたような衝撃が走った。ぎょっとしてアロドの腕を放した彼は、階段の方を振り返った。
「結界が切れた………!」
凄まじい風がゴオォォー、と唸りを上げて地上から階段を吹き抜け、地下へ流れ込んだ。突風に目を覆い、気付いた時には悪魔が墓室に巨大な身体を捻じ入れていた。
「また来た〜!!」本日何度目かのフィーリアの悲鳴。
悪魔がぐわっと手を伸ばし、五人は咄嗟に壁際に退いた。
だが、悪魔は攻撃して来なかった。伸ばした手の中に、棺から溢れ出た邪気が集まっていく。両手で顔を覆った悪魔を邪気が取り巻き、身体に吸い込まれ、頭の両側に先の尖った耳が生えた。覆われた顔から、苦痛に耐えるような低い呻きが聞こえる。その両手が下り、現れた顔には瞼、鼻、口が出来ていた。
瞼を開くと、血の色をした瞳と縦長の黒い瞳孔。五段階まで成長しなかったのは幸いだが、額に二本の山羊の角が生え掛けているのを見ると、ぎりぎりの線で四段階の人型に留まっているようだ。
「あたしの声が聞こえるか?」蘭は悪魔に呼び掛けた。「話せるか?」
悪魔は真っ赤な目玉をぎょろりと動かし、声の主を見下ろした。