第四話 宝探し (6)
返事の代わりに、悪魔はくつくつと乾いた笑い声を上げた。地獄の底から湧いて来るような低い声。頭から氷水を浴びせられたように一気に身体の芯まで冷え切ってしまいそうに冷たく、不気味な嘲笑だった。蘭だけが顔色一つ変えず、悪魔の言葉を待った。
「愚かな人間共よ」悪魔が口を開いた。「大人しく立ち去っていれば良かったものを。この墓室に忍び込み、棺をこじ開けるとは」
「お前が必死で遠ざけようとするもんだから、何を隠してるのか知りたくなってさ」悪魔を真っ直ぐに見上げ、蘭が答えた。
「それが愚かだと言っているのだ。人間は余計なことまで何でも知りたがる。好奇心は災いの元だ」
「説教するための口かよ」と蘭は可笑しそうにぷっと吹き出した。
「普通に会話してるし………」他の四人は、目の前の奇妙な光景を複雑な思いで見ていた。
悪魔は蘭の倍はあろうかという大きさで、煙状の身体は空気中を流れるように絶えず揺れ動いている。血のように赤い目玉だけが暗闇の中でもぎらぎらと異様に光り、冷ややかに彼女を見下ろす。骨の髄まで凍り付いてしまいそうな、威圧的な視線。しかし、彼女は怯えるどころか、微笑みすら浮かべて見つめ返していた。
悪魔が鼻で笑う。「フン。俺は軽蔑しているだけだ。己の欲を優先する人間共を。貴様等余所者は、奪うことしかしない。そこに転がっている奴も」と彼は床の一点を指した。
その場所を柾が懐中電灯で照らすと、フィーリアとルミエルを絶叫させた頭と胴が離れた白骨死体があった。二人はひっ、と小さな声を上げて、アロドにしがみ付く力を強めた。
蘭は責めるでも無く静かな口調で、「お前が殺ったのか?」と訊く。
悪魔はニヤリと口の端を吊り上げる。「そいつは勝手に死んだ。出口を失えば、俺が手を下さずともいつかは死ぬからな」
「出口を失う、だと?」その言葉に不吉なものを感じ、柾は明かりをさっと階段へ向けた。
五人の目は驚きに大きく見開かれた。
階段は消えていた。あるのは周りと同じ砂色をした日干し煉瓦の壁。
「階段がない?!」
「消えた?!」アロドとルミエルが同時に叫んだ。
「嘘でしょ?!」とフィーリアが頭を抱える。
駆け寄ったアロドが階段があった辺りの壁をコツコツ叩いてみるが、ひんやりと煉瓦の感触がちゃんとある本物の壁だった。妖力を使って打ち砕いたとしても、その先に階段は無い。そんな絶望的な確信を抱かせる、分厚い壁。まるで初めから存在しなかったかのように、地上と地下を繋ぐ唯一の出入り口は跡形も無く消え失せていた。
「てめえ、何しやがった?」柾は焦げ茶の瞳を細め、毅然として悪魔を睨み据える。
悪魔は不気味にくつくつ笑った。「貴様等も、そいつと目的は同じだからよ。そいつも棺をこじ開け、宝を持ち出そうとした。だから、閉じ込めてやったのだ。楼蘭国最後の王の墓を荒らすなど、許される訳がなかろう」
「最後の王?この子がそうなのか?」蘭は、再び二つの明かりに照らされた棺に目を遣った。
「そうだ」と悪魔は答えた。「昔、この国で起こったことを知らないのか。壁を見ればわかるだろう?」
そう言うと、悪魔はぶわっと黒煙の塊となり、宙を飛んで墓室を横切った。アロドと柾の懐中電灯の光が、慌てて追い掛ける。棺と反対側の隅まで移動した悪魔は人型に戻り、壁画の前に腰を下ろした。
壁に描かれているのは黒と赤で塗り潰し、縁取られた羊や馬、畑を耕す人の絵だ。
「楼蘭にも豊かな時代があった。西域中を流れる川の水がこの地に集まり、楼蘭人は作物を育て、家畜を飼った。東の桃からは絹、西の于闐からは宝玉が運ばれ、取引され、交易が盛んだった」
そこで悪魔は一息置いた。次に口を開いた時、彼の声は更に低く、苦々しいものになっていた。「匈奴と桃、二つの国の勢力争いに巻き込まれるまでは、な」
悪魔は隣の壁に移動した。丁度、蘭達とは棺を挟んで向かい側の壁だ。そこには、武器を手にした荒々しい兵を乗せた馬の群れ、城壁を攀じ上る兵、逃げ惑う人々の絵がある。
「桃の軍が、攻め入ったのだ。王子を人質として連れ去られた楼蘭王は、桃に服従することを約束させられた。だが、桃に楼蘭を取られては自由に交易が出来なくなると怒った匈奴が、軍を送ってきた。奴等は楼蘭人を殺し、欲しいままに略奪した。戦を終わらせるため、王は二人目の王子を人質として匈奴に差し出した。
この時から、楼蘭は桃と匈奴両国の言い成りに成らざるを得なくなってしまったのだ」
悪魔は五人の後ろを指差した。振り返り、明かりを近付けると、楼蘭王らしき人物が二人の息子を送り出す様子を描いた壁画があった。王の傍には王妃だろうか、泣き崩れる女の姿がある。彼女の腕には、赤子が抱かれている。
「この赤ん坊は?」とアロドが言った。
「それが最後の王よ」
答えた悪魔は棺を飛び越え、此方に向かって来た。フィーリアは小さく叫び、ルミエルは掴んでいたアロドの腕を後ろに引っ張った。アロドと柾は、警戒して身構えた。
しかし、悪魔は見向きもせず、五人の前を通り過ぎた。擦れ違い様に風が起き、蘭の一筋の髪が靡く。彼女は涼しい顔で、それを耳に掛けた。彼らのすぐ隣の壁画の前に、悪魔は屈み込んで胡坐を掻いた。
「やがて、楼蘭王が病で死に、ただ一人残った王子が即位した。だが、桃も匈奴も次の王は己が人質に取った王子を、と望んでいた。己の息の掛った者を王にすれば、この国を手に入れたも同然。そのためには、新しい王が邪魔だった。即位して間もなく、幼い王は暗殺された。匈奴人に毒を盛られたのだ。楼蘭人は王のために棺を作り、壁に歴史を記してここに埋葬した」
悪魔が語りながら見つめる壁には、赤や青の服を着た六人の人物画。真ん中の子供が手に杯を持ち、唇を付けようとしている所が描かれている。
「酷い話だな」蘭が呟くように言った。
「その後、匈奴から人質の王子が返され、王位に就いた。新しい王は匈奴の意のままに国を動かした。楼蘭を匈奴に乗っ取られることを恐れた桃は、この王を暗殺。楼蘭王家の血筋は絶え、国は占領された。桃人共は暗殺した王の亡骸まで奪って行ったが、この墓室はついに見つけられなかった。奴等は、いくら探してもここを見つけられなかった。
だが、貴様等は見つけた。余所者は、貴様等は奪うことしかしない。国を奪い、平穏な生活を奪い、王を奪い、その墓までも食い荒らそうとする」
悪魔は五人に指を突き付けた。煙で出来たような指は静かな怒りを宿した炎の如く、ゆらゆら揺れている。彼は侵入者を許さない。遺跡に侵入し、王族の墓を見つけ、棺を開けた蘭達に怒り、罵っている。
「どうする?」と蘭は四人をちら、と振り返った。
ルミエルがアロドを不安そうに見上げる。フィーリアとアロドが極り悪そうに目配せし合う。
「そりゃ、こんな話聞かされちゃったら………」
「やっと見つけたお宝だけど、持ち帰る気も失せるよなー」
「俺は端っから大して興味ねえし、どっちでも構わねえよ」と柾も言った。
蘭は悪魔に向き直った。「って言うことらしいぜ。何も盗らないなら、文句ないだろ。ここから出してくんない?」
すると、悪魔は仰け反って、からからと残忍に嘲った。「もう遅いわ。王の墓を穢す、卑しい盗掘者共よ。そこに転がる、骨と化した愚か者と同じ運命を辿るがいい」
フィーリアとルミエルの顔色が、青から土気色に変わった。
「嫌ぁ〜っ!こんなへんぴな所で死にたくない〜!だから、開けないでって言ったのよ!」
「だから、帰ろうって言ったのに!」
二人はアロドに詰め寄り、喚き散らした。
「わかったからさわぐな。出る方法、考えっから」アロドは悪かった、というように両掌を二人に向けて言った。
「どうやってよ?!」
「えーっと、そうだな……悪魔をなんとかすれば、階段がもとに戻るかもしれねーよな?さっきみたいにつかまえられないか?」と彼はルミエルに訊く。
ルミエルは頭を振った。「あんなに成長しちゃったら、ぼくの力じゃ無理。それに、ここは邪気が多すぎるよ。地下って邪気がたまりやすいから、神力も弱まっちゃうんだ」そう言って、悪魔をそっと盗み見る。
悪魔はゆっくりと立ち上がる所だった。煙状になって空気中を漂い、棺の前で止まると中を見下ろした。
「貸して」蘭は柾の手から懐中電灯を取り、棺に近付いた。
十にはなっているだろうかという年頃の、子供の木乃伊。国同士の争いに巻き込まれ、挙句の果てには毒殺された、悲劇の幼い王。どんな表情をしているのか、仮面の上からは窺え無い。この子には幸せな時があったのだろうか。死して尚、豪華な衣装を身に着け、宝玉に囲まれて手厚く埋葬されても、悲痛な表情が刻まれているような気がしてならない。
何時の間にか柾が隣に立ち、同じように棺を見下ろしていた。彼はぽつりと洩らした。「死んでから何千年も経ってもう弔ってくれる奴もいねえのに、土にも還れずにいるってのはどんな気分なんだろうな」
蘭は少しの間何も言わず、木乃伊から目を逸らさずにいた。
「さぁな」と彼女は溜め息を吐くように言う。「あたしには、酷く寂しそうに見えるよ」
太古の王に憐れむような淡い微笑みを送り、蘭は一歩下がった。
「蓋、閉めてやって」
横目で彼女を見た柾は、アロド達に視線を移す。アロドが頷いた。柾は棺の蓋を持ち上げ、元通りに閉めた。
二人が離れると悪魔は棺の前に腰を下ろし、ぎょろりと周囲を見回した。棺の主を守るように。誰にも触れさせはしない、という風に。
ルミエルは違和感を覚えた。悪魔というのは人間を誘惑し、陥れるものだ。自分達を恨み罵り、この墓室に閉じ込めるという理不尽な行動は悪魔らしい。しかし、その理由というのがある人間を守る為だなんて。
「ねぇ、蘭。この悪魔、ちょっと変じゃない?」
「そうか?」
「ぼくたちを遺跡から追い出そうとしてたのも、ここに入ったことを怒ってるのも、王様のひつぎを守るためだったんでしょ?それって……なんだか、楼蘭や楼蘭の人を大切に想ってるみたいだ」
「“悪魔自身”が、そう想ってる訳じゃないけどな」と蘭はさらりと答えた。
尚更、疑問を深めて顔を顰めたルミエルに、彼女は続けて言った。穏やかな口調だが、表情に微笑みの影は残っていない。
「悪魔がどうやって生まれるか、知ってるか?人間が創り出すんだよ。人から人に対する執着心――妬みとか恨みとか憎しみとかな。そういう強い感情を持った人間は、邪気を放出するようになる。放出された邪気は本人だけじゃなく、その感情を抱かせる原因になった相手にも伝染し、身体にまとわり付く。邪気が増えていくとそこから悪魔の芽が出る。
芽は成長し、蔓を伸ばして絡み付き、やがて悪魔になって独り歩きし始めるんだ。こいつもそう。遺跡中には楼蘭人の嘆きと侵略者への恨み。棺の中には王を守りたいと願う強い想い。全ての感情から創られた邪気が集まって、こいつが生まれた」
「誰かを守りたいって気持ちもなの?」フィーリアが戸惑ったように訊いた。
「時にはな。愛情だって人から人に対する執着だ。使い方を誤れば簡単に邪な念へと変わる。愛情から嫉妬、そして憎しみへ。悲しみは恨みへ。想いってのはあまりにも強いと、悪魔の元になる」
四人は押し黙り、蘭の話を聞いていた。
考え込むように腕を組んだアロドが、「待てよ。オマエが言ってるのはつまり……悪魔も幽霊みたいなモンってことか?」と訊いた。
彼女は首を振って答える。「それとは別物だよ。幽霊ってのは要は魂だけど、悪魔には魂がない。ただの感情の寄せ集めが意志を持ち、一つの人格を宿す。だけど、悪魔自体に心はないし、情もない。生み出された原因になった人間の負の感情しか持たない。存在してるけど生き物じゃない。命がないから。でも、霊とも違う。魂がないから。生きてる人間と、生きていた時の人間の感情の残り滓。肉体が滅びても、一度抱いた想いは消えずに地上に残る。
自分の意思とは関係なく、ね。今もどこかで、誰かが遺していった邪気から悪魔の芽が出て、生きてる誰かが成長させてる。芽は自然に枯れない。増えて成長し、絡み付き、宿主を洗脳してその人の人格や人生をも変える程の力を付けていく。この世界はあたし達が考えてる程、単純じゃないよ。見えないもの達の、自分達で創り出している悪魔の影響を絶えず受け続けているんだ」
話し終えた蘭は、悪魔の方を見つめた。全員の目が悪魔に注がれる。
大昔のこの遺跡の住人達。身体があり、呼吸をして、思考する事も出来た頃に持っていた感情は、何千年も経った今も此処に留まり続ける。その結果が、五人の前に形を成して座っていた。