第五話 同じ(そら)の下で (3)


「アンタ達!起きて起きて!起きなさいよっ!」
 テントがボン、ボン、と弾んだ。フィーリアが外から力任せに叩いているらしい。
 キンキン声に、ルミエルはとろとろと目を覚ました。「うーん………」
 何とか目を開けようとするが、(まぶた)が重い。今何時だろう、と思いつつ目を(こす)ろうとした手が、力尽きて腹の上に落ちた。再び眠りの世界へ引き込まれそうになる彼の頭に、起きてと叫ぶフィーリアの声とアロドの(いびき)が途切れ途切れに(こだま)する。
 (ただ)一人、すでに起きて身支度を済ませていた(まさき)は、立ち上がってテントの入口へ向かった。こんなに(やかま)しく騒がれても尚、眠り続ける二人を(わざ)と順番に踏ん付けながら。
「い゛っ?!」
「ふぎゃっ?!」
 痛さに変な声を上げ、悪態を()くアロドとルミエルにはお構い無しに、柾は外へ顔を出した。
「どうした?」
(ラン)がいないの!」フィーリアは叫ぶ様に言った。焦りで声が裏返っている。
「その辺、散歩でもしてんじゃねえか?」
「荷物持って?」
「荷物?」
「蘭のだけなくなってるのよ」
 それを聞いて、寝袋が二つ跳ね上がった。ルミエルの眠気は一気に飛び、アロドも慌てて起き上がる。
「いつ、いなくなったって?」とアロドが()き込んで訊いた。
「わからないわ。起きて見た時には、もう………」
 ふと、柾が眉根を寄せた。「あの悪魔はどうなった?」
 フィーリアははっとして、「まさか、そいつに?!」と握り(こぶし)を唇に当てた。
「悪魔はきのう出ていったよ」ルミエルは慌てて言った。
 全員の視線が、彼に注がれた。
「本当か?」
「うん。ぼく、一緒にいて見てたから」とルミエルは柾に(うなず)く。
 アロドは、寝癖が付いた頭に手を遣った。(あか)い色というのもあって、火山の大噴火という表現がぴったりだ。
「そんなら、アイツはどこ行っちまったんだ?」
「一人で先に行ったのかしら………?」
「えっ、どうして?!ぼくたちになにも言わずに?!」ルミエルは驚いて素っ頓狂(とんきょう)な声を上げた。
「なんでだよ?!この砂漠のど真ん中を一人で、しかも歩いてか?!近い町でもかなりの距離だぜ。探すぞ。こっちは車だから、すぐ追いつくだろ」
 ええ、とフィーリアは頷き、荷物を(まと)めようと自分のテントへ飛んで行った。
 全員が出立準備に取り掛かる中、柾だけが急いた様子も無くアロドに言った。「行かせてやりゃ良いんじゃねえか?一人で行きてえなら」
 途端、アロドとルミエルから集中攻撃を浴びる。
「オマエはいっつもいっつもそうやって!冷たいこと言うなよな!」
「いじわる!人でなしっ!」
 それでも彼は表情を変えず、静かに言った。「俺らに何も言わないで出て言ったのは、引き止められたくねえからだろう。追いかけて来て欲しいなんて、あいつは思ってねえかもしれねえ」
「でも………」とルミエルが非難に戸惑いが混じった声を上げた。
「元々、一人旅だったんだ。一人で行きてえなら、行かせてやりゃ良い。それに――」と柾はぼそっと付け加える。「逃げれる内に逃げた方が良い」
 ルミエルは小首を傾げた。「逃げる?なんの話?」
「いや、何でもねえ」
 柾は答えず、外に出ようとテントの入口に手を掛けた。
「でもよ」と、その背中に向かってアロドが言った。「もし、そうだとしてもよ………このまま別れんのか?なんの挨拶もなしに?なんでだよ……なんで、このタイミングでいきなりいなくなるんだよ?おかしいだろ?!なんで、アイツは一人になりたがるんだ?少しの間だけど一緒に旅して、オレはアイツを………仲間だと思ってたのに」
 アロドは力無く肩を落とした。ルミエルは(うつむ)いた。
 テントを開けて立ち止まり、黙って聞いていた柾はふっと口の端を()り上げた。「なら、さっさと支度しろ。俺はいつでも出れるぜ」
 あっちのテント片して来る、と出て行く彼を、二人はぽかんと見送って顔を見合わせた。
「なんだよ。追いかける気満々じゃんか」
「ねー………」


 東の空が白み始める。星々の(またた)きが(かす)み掛かり、(はかな)い光を放ちながら消えて行きつつあった。薄暗い夜の青さから、地平線に向かって(あけぼの)色のグラデーションに染まり行く空の下、蘭は歩いていた。 夜明け前の砂漠は気温がまだ低く、歩くには最適だった。
「良いのかよ?別れの一言もなしに、置き去りにして」左肩に顔を出した火球(カキュウ)が言った。
「良いんだ。引き止められても困るし………長く一緒にいすぎると、別れられなくなる」前を向き、一歩一歩を踏み締めながら蘭は言った。
(一刻も早く離れないと、火球があいつらに何しでかすかわからないからな)
 (しばら)く、そうやって歩き続けていたのだが、静かな砂漠に雑音が混じり始め、彼女は足を止めた。後ろからエンジン音が近付いて来る。明るい緑の車体、トレジャーハンターの車だ。
「あ………」
「ほれ見ろ。追っ掛けて来たぜェ」火球は含み笑いすると、ぶわっと煙になって消えた。
 段々、此方に近付いて来る車を眺めていると、突然、車体がガクンと傾いた。タイヤが(むな)しく空回りし、動かなくなった。
「………………」
 タイヤが砂に()まったらしい。空回りするタイヤは砂塵(さじん)を巻き上げるばかりで、一向に進まない。
 蘭は気を取り直し、くるりと進行方向に向き直った。「さて、行くか」
「待て待て待て!無視すんじゃねー!」怒鳴り声が追い掛けて来た。
 蘭は仕方無く立ち止まり、振り返って彼らが車から降りて来るのを待つ。
「なにやってんだよ?!一人で、なにも言わずにどこ行こうとしてんだ、オマエは?!」息を切らせて走って来たアロドが言った。
「え〜っと………トンズラ」
「は?」と片眉を上げた彼に、蘭はふぅ、と息を吐き、しゅんとなって言った。「わかった、謝るよ。ごめん」
「あ………いや、追いつけたからいいけどよ。急にいなくなるから――」
 焦ったぜ、と続けようとしたアロドだったが、蘭の行動に唖然とする。蘭はワンショルダーリュックを下ろし、開けて見せた。中には、飲料水の大ボトルが詰まっている。
「お前らの分の水まで持って来ちまったのは、さすがにまずかったか」
「こっちを殺す気か、阿呆っ!」誰よりも先に、柾が反応した。
「めずらしい。柾がどなったよ」
「食べ物と飲み物に関しては、器の小さい男ね」
 やれやれと肩を(すく)めるルミエルとフィーリアに、柾は「死活問題だろ!ここをどこだと思ってる?!」と噛み付いた。
「………その話は置いといてよ」アロドがぽりぽり頬を掻き、話を戻す。「一人で行く気なのか?」
 目線を落とした蘭の表情に、影が差した。
「………あたしの近くにいない方が良い」蘭は低く(つぶや)く様に言った。
「なんでだよ?」と食い下がる彼の顔を真剣に見つめ、彼女はもう一度言った。「あたしの近くにいない方が良い。特に、お前は」
 アロドの(あか)い瞳が大きく見開かれた。
「あたしには妖力が効かない。まかり間違っても、妖力持ちのお前があたしを傷付けることはないだろう。でも、あたしは悪魔と契約した人間だ。妖力持ちは、悪魔の邪気の影響を受けやすい。力が暴走して制御できなくなる、ってルーも言ってただろ?お前にとって、いや、お前らにとってあたしは危険なんだよ。見ただろ、火球を。あいつはかなりの厄介者だ。あたしと一緒にいるってことは、あいつと一緒にいるってことだ。あたしは我慢できるけど、お前らが無理して付き合う必要も義理もない」
「蘭は、火球をうまく押さえつけてるじゃないか」ルミエルが口を挟んだ。「火球が好き勝手にできないように契約して、うまく押さえつけてる。危険なんかじゃないよ」
「今のところは、な」彼女は自嘲染みた笑いを浮かべ、目を()らす。
 フィーリアが不思議そうに訊く。「でも、アンタ。火球には負けないって言ってたじゃない?」
(うん、負けない。負けないよ。でも………)
 蘭は想像してしまうのだ。最悪の事態を。火球の邪気が自分の聖気を上回り、肉体も精神も追い遣られ、契約を解除してしまう自分の姿を。力と自由を得た火球が、今度は他の人間を――アロドやフィーリアや柾やルミエルを食い潰そうとする姿を。
 まるでその考えを察した様に、柾が唐突に切り込んだ。「お前は、何を怖がっているんだ?」
「なっ………」蘭はがばっと顔を上げ、灰色の目を丸く見開いた。「怖がってなんか。あたしは………っ!」
「何、ムキになってんだ?」図星じゃねえか、とばかりに彼はニヤリとする。
 言い返す言葉が見つからなかった。蘭はくるっと四人に背を向け、声を大きくして言った。「これは、あたしの問題だ。自分で何とかする」
 ざっ、ざっ、ざっ、と大股で砂を蹴散らしながら、蘭は歩き出した。
「待って!」
 咄嗟(とっさ)にルミエルが叫ぶ。砂に足を取られて転びそうになりながらも、蘭に追い付く。「待って!ぼくも行く。一緒に連れてって!」
 蘭は片眉を上げた。「お前なぁ………今の話、聞いてなかったのか?」
「いやだ!一緒に行く!」とルミエルは蘭の腕にしがみ付いて言った。
 ルミエルは必死だった。やっと、悪魔を消滅させられる人を見つけたのだ。その術を教わり、身に付けるまでは別れる訳にはいかない。
「蘭にまだ教わりたいことあるから……弟子、そう弟子にしてくださいっ!」
 蘭は「え〜?」と面倒臭そうな気の無い返事をし、他の三人は「弟子ぃ?!」と思わず声を上げる。
(何の弟子?まさか、踊りの?!)
 ルミエルが弟子入り志願する訳を知らぬ三人は、蘭が教えられる事と言えば職業からして踊りだろうかと思い、それとルミエルが結び付かなくて首を傾げた。
 そして急に、柾までもが思い付いた様に言う。「丁度良い機会だ。俺も抜ける」
「へ?オマエまで?!」
「墓荒らしは、お前らだけでやれ」
 あんぐりと口を開けるアロドに見向きもせず、柾は蘭とルミエルの方へ歩き出した。その背に向かってフィーリアが「ちょ、ちょっと〜!何よ、皆してぇ!」と情けない声で叫ぶ。
 その先では、蘭がルミエルを振り解こうともがいていた。彼は、ぶら下がらんばかりの勢いで腕にくっ付いて、離れようとしない。ぐぐぐ、と蘭は力尽くで一歩踏み出した。ルミエルは逃がすまいとしがみ付いて、嫌々と首を振った。
「………いい加減にしろよっ。あたしは、一人で行くっつってんだよ………っ!」
 そう言う彼女を、「でもよー」と暢気(のんき)なアロドの声が呼び止める。「それって、疲れない?一人で背負いこむとさ、よけいなことまで考えちまうだろ?心配しなくてもいいことまでさ」
「………………」
 思わず、蘭の動きが止まる。彼に背を向けたまま、押し黙った。
 火球に負けた時の事ばかり考えるようになったのは、何時(いつ)からだったろうか。もし、耐え切れなくなって契約を解くと言ってしまったら――団長、(チー)母さん、燕緋(エンヒ)姉、(ユウ)兄、(シン)玉兎(ユイト)、それに薔薇(ショウビ)はどうなる? 妖力持ちの仲間は特に、火球の邪気に苦しむだろう。もしも、もしかしたら、というちょっとした不安が、やがて心を大きく激しく揺さ振る様になっていた。大好きな仲間、大切な家族を守りたかった。その為には、爆弾を抱えた自分は離れるべきだと思った。もし爆発したとしても、誰も傍にいなければ誰も傷付ける事は無い。誰も失う事は無い。だから、玄武(ゲンブ)帝の御召しを振り切るという口実で、蝃蝀(テイトウ)を飛び出して来た。
 だけど、違った。もしもの事を考える事自体、間違っている。そんなんじゃ、負けと同じだ。あたしは負けない。何があっても、全ての力を取られてはいけない。柾の言う通り、あたしは怖かったんだ。関係無い人を巻き込んでしまうかもしれない事が、怖かったんだ。その恐れが、火球の力を更に強めている事にも気付かずに。
 誰も傷付けさせはしない。蝃蝀(テイトウ)の仲間も、アロドもフィーリアも柾もルミエルも。皆に手を出そうとするなら、その手を(つか)んで止めてやる。契約を解けと迫られても、今まで通り大声で嫌だと叫んでやる。あたしは負けない。あたしには、やるべき事があるから。
 蘭はゆっくり振り返った。アロドは両手を頭の後ろで組み、フィーリアは片手を胸の前で握り締めて此方を見ている。柾は身体を別の方に向けているが目線だけ寄越(よこ)し、ルミエルは張り詰めた表情で蘭の腕をしっかり掴んでいる。
「………いいよ。お前らに付き合ってやっても」
 蘭は(ふく)れっ面で四人に言った。そして、自分でも生意気だと思いながらも、怒った様な口調でこう続けた。「どうせ、お前らは考えなしのフヌケ野郎の集まりだから、あたしがいないと駄目なんだろうからなっ!」
 柾が「随分、上から目線だな」と不満そうに言った。
 フィーリアとルミエルの顔に、ほっとした様な嬉しそうな笑みが広がる。
「いいよ。それでも」アロドがにかっと笑い、此方に歩み寄って手を差し出した。
 蘭は柔らかな微笑を返した。ちょっぴり泣き出しそうな、ぎりぎりの笑顔。手を伸ばして彼の手を握り、その上にフィーリア、柾、ルミエルが手を重ねた。
「よし、行くか!」
「おうっ!」全員で声を(そろ)える。
 こうして、正式にトレジャーハンターの仲間に加わる事となった蘭は、彼らと共に車に乗り込んだ。
 ところが、車に乗った瞬間、彼女は鼻を手で(おお)った。大の苦手な煙草(たばこ)の臭いに、「やっぱ、降りる」と青い顔で言う。
「ダメッ!」フィーリアとルミエルが同時に叫び、ドアを閉めた。


     
web拍手 by FC2    
inserted by FC2 system